混沌から光明へ 探求 ॐ107 (R8.6.5)

ॐ107

キリストが横たわって

処刑人たちが釘を打ちこんでいるとき

彼が「しかし、痛いなあ」なんて言うと思いますか?

キリストはおそらく 自分に釘を打ちこんでいる人を

絶対の慈悲

をもって見ているのです

キリストには なぜ相手がそんなことをするのかわかってしまう

何に引っかかっているのか

どれだけ埃 (ほこり) が当人の目を覆っているのか

なぜ彼がそれをやらなければならないのか

そうなんです

キリストは前の晩に言いました

「明日は大変なトリップだ。そうだよ、これがその釘だよ。見てごらん!」

自分は いま苦しめられている「当人」なのだろうか ——— ちがいます

それです! 一度それを知ってしまえば もはや

快楽も苦痛も

損も得も

名誉も恥も

すべておなじこと

それはすべて

ただ単に

起こっているだけのことなんです

* 本投稿の趣旨が解らないという方は、当ブログのカテゴリー「お知らせ」の「混沌から光明へ 投稿開始! (R7.6.13) を一読願います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。