五十黙示録 第五巻 極め之巻 第十三帖 (R8.8.5)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第五巻 極め之巻 第十三帖です。お読み下さい。
五十黙示録 第五巻
極め之巻 第十三帖
これまでに申してきかせても言ふこときかぬ人民多いぞ、きく耳ないならば思ふようにやって見なされ、グルグル廻って又はじめからぞ、人民は神の中にゐるのであるから、いくら頑張っても神の外には出られん。死んでも神の中にゐるのぞ、思ふさまやりて得心改心、われがわれがで苦しむのも薬と申すもの。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 818頁 より)
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価格:8800円 |
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いつものことですが、日月神示の基本十二巻以降の神示 (ふで) に対しては、投稿者:加藤の解釈を避けています。理由はいくつかあるのですが、基本的には、皆さまの解釈を尊重するためになりますので、ご理解していただきたいと思いますが、本帖は、非常に大切なことが書かれた帖になると投稿者:加藤は思いますので、判りやすい言葉に変えて説明をしておきたいと思います。しかし、皆さま個々の解釈を邪魔するつもりはありませんので、投稿者:加藤の説明も、多々ある解釈の内の一ッの解釈と思って読んでください。
冒頭に書かれている「人民よ、聞く耳がなければ思うようにやってみよ、グルグル廻ってまた始めからだ」と、言うことを聞かない人民 (体主霊従) が多いと書かれています。本帖書き出しの「これまでに申してきかせても」とは、日月神示の核心部分である、第一部 基本十二巻の内容のことです。
「人民は神の中にゐるのであるから、いくら頑張っても神の外には出られん」これは人間と神の「究極の関係」を文字にしたものです。人間がいくら自分勝手にしていても、神との縁が切れることは絶対に不可能なことなのです。
最後の言葉は「われがわれがで苦しむのも薬と申すもの」と書かれています。地獄に落ちて、苦しむだけ苦しんで気付くのも善し、ということなのですが、魂が地獄に落ちても「気付」があるという仕組みがあると読めるのですが、人民全てが気付ける訳ではないので、「神人」と「獣」に分かれると基本十二巻の中で書かれていますので、もう一度引用しておきます。
日月神示 第三巻 富士 (普字) の巻 第九帖より 一部分
いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でゐて呉れよ、地獄の三段目に入る事の表 (おもて) は一番の天国に通ずることぞ、神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。