第一巻 上つ巻 第三十五帖 (R6.4.21)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一巻 上つ巻 第三十五帖になります。読んで下さい。
第一巻 上つ巻
第三十五帖 (三五)
死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。神のまにまに神の御用して呉れよ、殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにゐても生かさなならんぞ。まだまだ悪魔はえらい仕組してゐるぞ、神の国千切りと申してあるが、喻 (たと) へではないぞ、いよいよとなりたら神が神力出して上下引つくり返して神代に致すぞ、とはの神代に致すぞ。細かく説いてやりたいなれど、細かく説かねば分らん様では神国 (しんこく) の民とは云はれんぞ。外国人には細かく説かねば分らんが、神の臣民には説かいでも分る身魂授けてあるぞ、それで身魂みがいて呉れと申してあるのぞ。それとも外国人並にして欲しいのか、曇りたと申してもあまりぞ。何も心配いらんから、お山開いて呉れよ江戸が火となるぞ、神急けるぞ。七月の七日、ひつくのか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 30頁 より)
ひふみ神示〔新版〕 (Ten books) [ 岡本天明 ] 価格:8800円 |
本帖は「立替え大峠」の状態を暗示 (はっきりと書いてあるが) している文章になります。「死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。神のまにまに神の御用して呉れよ、殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにゐても生かさなならんぞ」との書き出しの帖です。ここに書かれている、二極化した人を分類すると、死んで生きる人 → どの次元 (R6.4.17参照) でも生きる人 → 身魂の磨けた人、生きながら死んだ人 → 何処にいても魂まで灰にしなければならない人 → 身魂が磨けてない人、とに分類されると投稿者:加藤は考えます。「身魂磨きとは」に付いては、探求小屋の方で、日月神示研究の第一人者である中矢伸一氏が、これくらいはやりましょう的な、身十ヶ条と魂十ヶ条を投稿済ですので、読んでみて下さい。投稿者:加藤の考える身魂磨きとは多少異なりますが、「マァ、そうですよネッ!」といえる二十ヶ条だと思います。
以降の文章に関しては、当ブログをご愛顧下さっている皆さまには、難しい内容ではないと思いますし、八通りに読めると云われる日月神示ですので、皆さまの解釈に任せたいと思います。今回の帖は、身魂磨きの大切さを示した帖となると投稿者:加藤は思います。皆さま身魂磨きに励みましょう。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。