五十黙示録 第五巻 極め之巻 第四帖 (R8.7.6)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第五巻 極め之巻 第四帖です。お読み下さい。
五十黙示録 第五巻
極め之巻 第四帖
大空に向って腹の底から大きく呼吸してゴモクを吐き出し、大空を腹一杯吸ひ込んで下されよ。そなたの神を一応すてて心の洗濯を致してくれよ、神示が腹に入ったらすてて下されと申してあろうがな、神を信じつつ迷信に落ちて御座るぞ。日本が秘の本の国、艮 (宇詞答裸 (ウシトラ)) のかための国、⦿ (ヒ) 出づる国、国常立大神がウシトラの扉をあけて出づる国と言うことが判りて来んと、今度の岩戸ひらきは判らんぞ、こんなことを申せば、今のエライ人々は、古くさい迷信ぢやと鼻にもかけないなれど、国常立命がウシトラからお出ましになることが岩戸 (言答) ひらきぞ、今の学では判らんことばかり。善と悪とに、自分が勝手にわけて、善をやろうと申すのが、今の世界のあり方。天の王、地 (智・千) の王のこと、• のことがハッキリ判らねば足場がないではないか、足場も、めあてもなくてメクラメッポーに歩んだとて目的には行きつけぬ道理。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 813頁 より)
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価格:8800円 |
いつものことですが、日月神示の基本十二巻以降の神示 (ふで) に対しては、投稿者:加藤の解釈を避けています。理由はいくつかあるのですが、基本的には、皆さまの解釈を尊重するためになりますので、ご理解していただきたいと思います。
今回の投稿では、良い機会なので「艮の金神」について、少々書き記しておきたいと思います。インターネット百科事典「Wikipedia」にて「国之常立神」で調べると下記のような文章が出てきます。
Wikipedia より一部分を引用
1892年(明治25年)2月3日、京都府綾部在住の無名の老婆出口直(なお)は「艮の金神」と恐れられる祟り神の神懸かり現象を起こした。古神道や伯家神道の知識を持つ出口王仁三郎は、直に懸かった神を審神し「国之常立神(国常立尊)」と判断。大地を修理固成し国祖であった国常立尊は厳格な統治を行ったがゆえに、それに不満を持った神々により鬼門の方角に追放された。しかし、時ここに到り復活を宣言した国常立尊が、世の建て替え立て直しのためにこの世で力を顕現するという終末論を主張した。直と王仁三郎の教団大本は大正から昭和初期にかけ教勢を拡大し、宮中関係者や陸海軍将校が多数参加する一大宗教勢力となった。
Wikipedia よりの引用終了
過去の投稿でも書いたと記憶していますが、立春の前日 (節分、例年二月三日頃) に行われる伝統行事である「豆まき」は邪気 (鬼) を払い、無病息災を願い。炒った豆を「鬼は外、福は内」と唱えながらまき、最後に自分の歳の数だけ豆を食べて厄除けを行う行事です。が、これは、非常に厳格で厳しい神だった、国常立尊を疎ましく思った神々が、国常立尊を艮 (東北) の奥地に、「炒った豆が芽を出すまで、出て来るな」と呪文をかけて封印したというのが真実です。ですから本来の豆まきは「鬼は内、福も内」でなければなりません。ついでの話になりますが、正月に食べる「雑煮」ですが、これも、国常立尊を封印した神々が、国常立尊を封印した祝いに、国常立尊の臓物を鍋にして食したことが由来で「臓煮」と名付けられています。
話は変わり、Wikipedia の引用でも判るように、日月神示を理解するには、大本のこと、出口ナオのこと、出口王仁三郎のこと、当然ですが大本神諭のことや霊界物語のこと、岡本天明のこと、等々を少しづつでも理解してないと、誤った理解になる可能性があると投稿者:加藤は思います。当ブログでは、出来るだけ判り易く、これらのことも投稿していくつもりですので、今後も御愛顧をお願い致します。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。