第一二巻 夜明 (四あ) けの巻 第十三帖 #2 (R7.7.30)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一二巻 夜明 (四あ) けの巻 第十三帖です、お読み下さい。

第一ニ巻 夜明 (四あ) けの巻

第十三帖 (三三三)

 あら楽 (たぬ) し、すがすがし、世は朝晴れたり、昼晴れたり、夜も晴れたり。あらたのし、すがすがし、世は岩戸明けた理、待ちに待ちし岩戸開けたり、此の神示の臣民と云ふても、人間界ばかりでないぞ。神界幽界のことも言ふて知らしてあると、申してあろが。取違ひ慢心一等恐いと申してあろが。祭典 (まつり) 、国民服もんぺでもよいぞ。天明まつりの真似するでないぞ。役員まつりせい。何も云ふでないぞ。言ふてよい時は知らすぞよ、判りたか。仕へる者無き宮、産土様の横下にいくら祀ってもよいぞ。天明は祈れ。祈れ。天に祈れ、地に祈れ、引潮の時引けよ。満潮の時進めよ。大難小難にと役員も祈れよ。口先ばかりでなく、誠祈れよ。祈らなならんぞ。口先ばかりでは悪となるぞ。わかりたか。今度は借銭済 (な) しになるまでやめんから、誰によらず借銭無くなるまで苦し行せなならんぞ、借銭なしでないと、お地の上には住めん事に今度はなるぞ。イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。今にチリチリバラバラに一時はなるのであるから、その覚悟よいか。毎度知らしてあること忘れるなよ。神示腹の腹底まで浸むまで読んで下されよ。神頼むぞ。悟 (さと) った方神示とけよ。といて聞かせよ。役員皆とけよ。信ずる者皆人に知らしてやれよ。神示読んで嬉しかったら、知らしてやれと申してあらうが。天明は神示書かす役ぞ。アホになれと申してあろが、まだまだぞ、役員気付けて呉れよ。神示の代りにミ身に知らすと申してある時来たぞ。愈々の時ぞ。神示で知らすことのはじめは済みたぞ。実身掃除せよ。ミ身に知らすぞ。実身に聞かすぞ、聞かな聞く様にして知らすぞ。つらいなれど、がまんせよ。ゆめゆめ利功出すでないぞ。判りたか、百姓にもなれ、大工にもなれ、絵描 (かき) にもなれ。何んにでもなれる様にしてあるでないか。役員も同様ぞ。まどゐつくるでないぞ、金とるでないぞ。神に供へられたものはみな分けて、喜ばしてやれと申してあろが。此の方喜ぶこと好きぞ、好きの事栄えるぞ。いや栄へるぞ。信者つくるでないぞ。道伝へなならんぞ。取違へせん様に慢心せん様に、生れ赤児の心で神示読めよ。神示いただけよ。日本の臣民皆勇む様、祈りて呉れよ。世界の人民皆よろこぶ世が来る様祈りて呉れよ、てんし様まつれよ。みことに服 (まつ) ろへよ。このこと出来れば他に何も判らんでも、峠越せるぞ。御民いのち捨てて生命に生きよ。「鳥鳴く声す夢さませ、見よあけ渡るひむかしを、空色晴れて沖つ辺に、千船行きかふ露の裡。」「いろは、にほへとち、りぬるをわかよ、たれそ、つねならむ、うゐのおくやま、けふこ、えてあさき、ゆめみしゑひもせすん。」

 「アオウエイ。カコクキケ。サソスセシ。タトツテチ。ナノヌネニ。ハホフヘヒ。マモムメミ。ヤヨユエイ。ラロルレリ。ワヲウヱヰ。」

 「アイウエオ。ヤイユエヨ。ワヰヱヲ。カキクケコ。サシスセソ。タチツテト。ナニヌネノ。ハヒフヘホ。マミムメモ。ヤイユエヨ。ラリルレロ。ワヰウヱヲ。五十九柱ぞ。此の巻夜明けの巻とせよ。この十二巻よく腹に入れておけば何でも判るぞ。無事に峠越せるぞ。判らん事は自分で伺へよ。それぞれにとれるぞ。天津日嗣皇尊弥栄 (あまつひつぎすめらみことやさか) いや栄 (さか) 。あら楽 (たの) し、あら楽し、あなさやけ、あなさやけ、おけ。

 一二三四五六七八九十百千卍 (ひふみよいつむゆななやここのたりももちよろず) 。

 秋満つ日に、アメのひつ九かみしるす。     (夜明けの巻了)

 

(太陽出版 新版 ひふみ神示 279頁ー282頁 より)

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 今回の投稿は、前回の続きとなります。本帖は長文ではありますが、日月神示の基本十二巻の総括となる帖ですので、基本十二巻の最終帖までお付き合いしてくださっている、当ブログをご愛顧くださっている皆さまには、難しいという内容ではないと投稿者:加藤は思います。「此の神示の臣民と云ふても、人間界ばかりでないぞ。神界幽界のことも言ふて知らしてあると、申してあろが。取違ひ慢心一等恐いと申してあろが」と書かれています。これは今回の「岩戸開き」が人間界=地上界=顕界だけのことではなく、神界や幽界を含む三千世界が対象のことだということは理解しておいてもらいたいと投稿者:加藤は思います。つまり神界・幽界・顕界は個々がバラバラの世界ではないということで、三千世界の全てが通じていると考えなければ意味が通じてこないのだと投稿者:加藤は考えます。解ったつもりの「慢心」が一番恐ろしいとも書かれていますので、常に謙虚な心に務めたいものです。「天明まつりの真似するでないぞ。役員まつりせい」とは、「岩戸開き」までの一連の流れに区切りがついたところで、今までの「神業」は岡本天明が「斎主」を務めていた務めを、役員に務めさせなさいという指示です。これはあくまで投稿者:加藤の私感ですが、この引継ぎは「一二三の仕組」が終わり「三四五 (みよいづ) の仕組」に突入したことを意味するのだと思います。

 「神示で知らすことのはじめは済みたぞ」と書かれています。これは基本十二巻の終了を意味しています。「この十二巻よく腹に入れておけば何でも判るぞ。無事に峠越せるぞ。判らん事は自分で伺へよ。それぞれにとれるぞ」とも書かれています。日月神示はこの後に「第二部 (後半十一巻) 」、「宝七巻」、「五十 (いせ) 黙示録 (八巻) 」、「補巻 (一巻) 」と続きますし、当ブログでも日月神示の第二部以降も投稿を続けようと考えていますが、当ブログの管理者として「この十二巻よく腹に入れておけば何でも判るぞ。無事に峠越せるぞ。判らん事は自分で伺へよ。それぞれにとれるぞ」という基本十二巻の最後の言葉は、非常に重い言葉となります。言葉を変えて解釈するならば「基本十二巻以降は、他人が他者に対して、日月神示を解釈することを許さない」という意味にも受け取れるからです。ですので、今後のカテゴリー日月神示の投稿方法は思案中です。また、読者の方々にも、この基本十二巻の最後の言葉を「重く受け止めて」いただきたいと投稿者:加藤は願います。「判らん事は自分で伺へよ」とは、何度も何度も何度も「基本十二巻」に戻り、音読し、肚に入れれば「それぞれにとれるぞ」「何でも判るぞ。無事に峠越せるぞ」という言葉に通じると投稿者:加藤は思います。

 本帖の解釈の最後になりますが、本帖には「蜘蛛の巣状」の不思議な図形が書かれています。そしてこの図形が何を意味するのかは一切書かれていません。本投稿で、図形を掲載したかったのですが、投稿者:加藤の力量では無理でした。ゴメンナサイです。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。