第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第十六帖 (R7.1.1)
新年明けましておめでとうございます。皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。令和七年も宜敷く御願い致します。早速ですが今回のお題は、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第十六帖です、お読み下さい。
第六巻 日月 (ひつ九) の巻
第十六帖 (一八九)
慌てて動くでないぞ。時節が何もかも返報 (へんぽう) 返しするぞ。時の神様有難いと申してあろがな。神は臣民から何求めてゐるか。何時も与 (あた) へるばかりでないか。神の政治、神国の政治は与へる政治とくどう申してあろがな。今の遺方では愈々苦しくなるばかりぞ。早よう気付かぬと気の毒出来て来るぞ。金要らぬと申してあろが。やり方教へてやりたいなれど、それでは臣民に手柄無いから此の神示よく読みてくれといふてあるのぞ。よき事も現れると帳消しとなる事知らしてあろが、人に知れぬ様によき事はするのざぞ。この事よく深く考へて行へよ。昔からのメグリであるから、ちょっとやそっとのメグリでないから、何処へ逃げてもどうしてもするだけの事せなならんのざぞ。どこにゐても救ふ臣民は救うてやるぞ。真中動くでないぞ、知らぬ顔しておる事も起るぞ。十一月三日、一二⦿。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 152頁 より)
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本帖の「時節が何もかも返報 (へんぽう) 返しするぞ」ですが、普段は使用しないと思われる言葉「返報」の意味を調べてみると、「恨みに対して仕返しする」と「人から受けた事に対して報いる (返礼) する」という両極面な意味があるようです。また大本神諭に「今に艮の金神が返報返しを致すぞよ」と同じような内容が降ろされてもいます。日月神示では「身魂磨き」と「メグリ取り」と「借銭済まし」は、同義語として理解してよい言葉だと投稿者:加藤は考えていますので、この一文の意味は、時節=時の神 (大本神諭では、艮の金神=国常立尊) が、返報 (借りた金を返す) をする (自分が作ったメグリが自分に帰ってくる=神の仕組が発動する) という意味だと投稿者:加藤は思います。この返報は、個人、家系、国家のそれぞれの単位で発動するものだと思います。
「やり方教へてやりたいなれど、それでは臣民に手柄無いから此の神示よく読みてくれといふてあるのぞ」ですが、やり方は神示に降ろされています。ですので、よく読めと伝えているのだと投稿者:加藤は思います。下記に日月神示 第三巻の第十三帖と第二十五帖の一部を抜粋しておきます。出来ましたら、当ブログの過去の投稿 (第三巻) を、もう一度読み返してみて下さい。
第十三帖 何もかもてんし様の物ではないか、それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが⦿の気に入らんぞ、一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ、一本の草でも⦿のものぞ。野から生れたもの、山から採れたもの、海の幸も、みな⦿に供えてから臣民戴けと申してあるわけも、それでわかるであろうがな。
第二十五帖 すべててんし様に捧げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、世界の臣民みなてんし様に捧げなならんのざぞ。
これらの意味としては、「神が与えるばかり」ではなく、我々も「与えなければならない」ということです。惜しまずに与え、惜しまずに与えてもらわなければならなのだと投稿者:加藤は考えます。「金要らぬと申してあろが」とも書かれていますが、ここも上記の内容が理解できれば、金の世界では上手く行かなくなる時が来るという事を、今の世の中を見渡しても、明白な事なのです。投稿者:加藤の考え方では、「金」自体が搾取から産まれた物なので、その「金」は搾取しか産まないのだと思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。