第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第三帖 (R6.12.10)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第六巻 日月 (ひつ九) の巻 第三帖です、お読み下さい。
第六巻 日月 (ひつ九) の巻
第三帖 (一七六)
此の神示声立てて読みて下されと申してあろがな。臣民ばかりに聞かすのでないぞ。守護神殿、神々様にも聞かすのぞ、声出して読みてさへおればよくなるのざぞよ。じゃと申して、仕事休むでないぞ。仕事は行であるから務め務めた上にも精出して呉れよ。それがまことの行であるぞ。滝に打たれ断食する様な行は幽界 (がいこく) の行ぞ。神の国のお土踏み、神国の光いきして、神国から生れる食物 (たべもの) 頂きて、神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬのざぞ。此の事よく心得よ。十月十九日、一二⦿。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 141頁ー143頁 より)
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本帖の鍵となる所は「行」ですが、その前に「此の神示声立てて読みて下されと申してあろがな。臣民ばかりに聞かすのでないぞ。守護神殿、神々様にも聞かすのぞ」との書き出し部分の解釈を少々して置きたいと思います。この文章も幾度も日月神示に登場する文章で、日月神示の音読を促している文章です。理由は、自分だけではなく、守護神殿や神々様にも聞こえるように音読して下さいと、神からのお願いの文章となります。しかし、音読を強制しているとは投稿者:加藤は思いません。黙読でも読まないよりは良いでしょうし、喫茶店で、声を出して本を読んでたら、店を叩き出されますしね。マァ、それ以外にも黙読の方が良い理由はあるのですが、ここで説明することは避けます。
さて「行」です。本帖で書かれていることで、大事な部分は「滝に打たれ断食する様な行は幽界 (がいこく) の行ぞ」の所です。俗に苦行とか荒行と呼ばれるよな「行」は、神国=日本国の我々日本人が行うことではないという意味です。神国の臣民の「行」とは「日常生活」そのものが「真の行」なのだと投稿者:加藤は考えます。「日常生活」が調和し、嬉し嬉しと歓喜する生活を送れる。そのためには「身魂磨き」「メグリ取り」が必要となる、そのような「日常生活」これこそが、神国の臣民の「行」だと投稿者:加藤は考えます。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。