第一巻 上つ巻 第一帖 (R5.3.14)

 皆さま御機嫌いかがでしましょうか、投稿者:加藤です。日月神示を読み進めていると、如何に身魂磨きが大切かを知る事になるります。今回は、良い機会ですので、昭和十九年六月十日に千葉県の麻賀多神社で、岡本典明に自動書記として日月神示が降ろされ初めた、その第一回目の日月神示を取り上げます。

 では、本日の御題。 第一巻 上つ巻 第一帖です。 先ずお読み下さい。

第一巻 上つ巻

第一帖

 二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、仏もキリストも何も彼もはつきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るからみたまを不断に磨いて一筋の誠を通うして呉れよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初って二度とない苦労である。このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ、日本はお土があかる、外国はお土がさかる。都の大洗濯、鄙の大洗濯、人のお洗濯。今度は何うもこらへて呉れよというところまで、後へひかぬから、その積りでかかって来い、神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る⦿は神の国、神の力でないと何んにも成就せん、人の力で何が出来たか、みな神がさしてゐるのざ、いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯して置いて呉れよ。戦は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ超へて時を待つ。加実が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり、口と心と行と、三つ揃うたまことを命といふぞ。神の臣民みな命になる身魂掃除身魂結構、六月の十日、ひつくのかみ。

*書出しの「二二」は、「ふじ」。「七六」は、「しちむづ」。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 7頁ー8頁 より)

 投稿者:加藤も久しぶりに、第一巻の第一帖を読み返しました。日月神示の神は、読めば読むほどに、我々臣民の事を考えている優しい神だと感じるのですが、今回の御題である一番始めの言葉は非常に厳しい物でした(厳しさの中でも、優しさがヒシヒシと感じられるのですが)ので、久しぶりに読み返した投稿者:加藤は、少々ビックリしています。

 この帖で「口と心と行と、三つ揃うたまことを命といふぞ。神の臣民みな命になる身魂掃除身魂結構」と書かれています。此処での戒めは、口と心と行いを見直せと言ってるのでしょう。どんなに良い行いでも、言葉が悪ければ駄目だ、どんなに良い事を言っていても、心が悪ければ駄目だと云う様な事です。良い言動、良い考え、良い行動の三つ揃えてこそ、良いと言っているのでしょう。その行いが出来れば、先ずは身魂磨きの入口だと言っているのだと思います。そして、悪いと思われる事(此処では、取敢えず悪い口心行でしょう)は、全て掃除して美しく保てと言っていますね。身魂磨きは、日月神示で山の様に出て来ますので、今後も機会あるごとに取上げて行きます。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。