第五巻 地 (九二) つ巻 第三十二帖 (R6.12.1)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第五巻 地 (九二) つ巻 第三十二帖です、お読み下さい。
第五巻 地 (九二) つ巻
第三十二帖 (一六九)
仕組通りに出て来るのざが大難を小難にすること出来るのざぞ。神も泥海は真っ平ぞ、臣民喜ぶほど神うれしきことないのざぞ、曇りて居れど元は神の息入れた臣民ぞ、うづであるのぞ。番頭どの、役員どのフンドシ締めよ。十月の七日、ひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 134頁ー135頁 より)
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本帖は非常に短い文章の帖になります。日月神示の短い帖は、難解な帖が多いのですが、本帖は日月神示を、ある程度でも読んだことがある方には、さほど難しい文章ではないと思います。書き出しの「仕組通りに出て来るのざが大難を小難にすること出来るのざぞ」ですが、神の仕組は不変のことであっても、臣民の行い (身魂磨きによる、集団意識) で、大難を小難に出来ると伝えている文章です。この伝えで、我々が理解して置かなければならないことは、あくまでも我々人間の「自由意志」により、大難を選ぶか、小難を選ぶかを任せているということです。「神も泥海は真っ平ぞ」ですが、少々説明すると、出口王仁三郎の霊界物語に、原始の時の地球は「泥の海」であったが、国祖様 (国常立大神) と部下の神々は「龍体、龍神」に化身されて、地球を修理固成 (つくりかため) られたとされている、と書かれています。従って、泥海とは「原始の状態」だという意味と思って良いでしょう。「番頭どの、役員どのフンドシ締めよ」と締め括っている帖です。前帖でも触れましたが、神の御用に務めている役員の人々が、慢心と狎れに気付かなければならないのでしょう。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。