第五巻 地 (九二) つ巻 第二十五帖 (R6.11.18)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第五巻 地 (九二) つ巻 第二十五帖です、お読み下さい。
第五巻 地 (九二) つ巻
第二十五帖 (一六二)
新しくその日その日の生まれ来るのぞ、三日は三日、十日は十日の神どの守るのざぞ、時の神ほど結構な恐 (こわ) い神ないのざぞ、この方とて時節にはかなはんことあるのざぞ。今日なれば九月の二十八日であるが、旧の八月十一どのを拝みて呉れよ、二十八日どのもあるのざぞ。何事も時待ちて呉れよ、炒豆 (いりまめ) にも花咲くのざぞ、この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ、時は神なりぞ。何事もその時節来たのざぞ、時過ぎて種蒔いてもお役に立たんのであるぞ、草物いふぞ。旧の八月の十一日、ひつ九のか三。
九月の二十八日、ひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 129頁 より)
ひふみ神示〔新版〕 (Ten books) [ 岡本天明 ] 価格:8800円 |
本帖の鍵は「時節」と「炒豆 (いりまめ) にも花咲く」だと投稿者:加藤は思います。先ず書き出しの「新しくその日その日の生まれ来るのぞ」ですが、今この瞬間と、時の流れの時節が大事だと伝えている文章の冒頭になります。「時の神ほど結構な恐 (こわ) い神ないのざぞ」は、日月神示でお馴染みの逆説ですが、身魂磨きが進んでいない臣民にとって、時節 (大峠) は怖いものになり、身魂磨きが進んだ臣民にとって、時節は結構なものだという意味です。
さて二ッ目の「炒豆 (いりまめ) にも花咲く」ですが、投稿者:加藤の記憶で、今から五〜六年程前の話になるのですが、確か朝日新聞系だと思いますけど、中国大陸の農家で、非常食として備蓄していた炒豆が、何年か放置していたところ、芽を出していた。という記事を読みました。それから色々と調べてみたのですが、ネット上で、再発見出来なかった記事です。火で炒った大豆が芽を出す事など、通常では考えられない事です。しかし、過去の投稿でも触れた話ですが、節分の豆まきでは「鬼は外、福はうち」と炒豆を東北方面に投げます。これは艮の金神=国常立尊を鬼に見立てた悪習です。国常立尊を鬼門に押し込め、「炒った豆が芽を出すまで、出てくるな」と呪文と結界で、悪神たちが封印したのです。日月神示で国常立尊が「炒豆 (いりまめ) にも花咲くのざぞ」と伝えているなどとは、艮の金神様はお茶目な神様ですねぇ〜〜
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。