第五巻 地 (九二) つ巻 第十三帖 (R6.10.29)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第五巻 地 (九二) つ巻 第十三帖です、お読み下さい。

第五巻 地 (九二) つ巻

第十三帖 (一五〇)

 赤い眼鏡かければ赤く見えると思うてゐるが、それは相手が白いときばかりぞ、青いものは紫にうつるぞ。今の世は色とりどり眼鏡とりとりざから見当とれんことになるのざぞ、眼鏡はづすに限るのぞ、眼鏡はづすとは洗濯することざぞ。上ばかりよくてもならず、下ばかりよくてもならんぞ。上も下も天地そろうてよくなりて世界中の臣民、けものまで安心して暮らせる新 (あら) の世に致すのざぞ、取り違へするなよ。九月二十三日、一二⦿。

* 本帖の「色とりどり眼鏡とりとり」の部分ですが、印刷物によっては「色とりとり眼鏡とりとり」だったり「色とりどり眼鏡とりどり」だったりします。しかし、今回は当ブログで引用させていただいている文献通り、忠実に引用して投稿しることとします。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 120頁 より)

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感想(12件)

 本帖の内容は、物事に対する感情や感覚、見え方や考え方等々の「価値観」について、色眼鏡から見える景色を例に書かれている文章です。「赤い眼鏡かければ赤く見えると思うてゐるが、それは相手が白いときばかりぞ、青いものは紫にうつるぞ」という書き出しのことです。しかし続いて「今の世は色とりどり眼鏡とりとりざから見当とれんことになるのざぞ、眼鏡はづすに限るのぞ」と書かれています。これは、個々の価値観を持つ事は問題ないけれど、個々の価値観を形成するにあたり、その価値観の中心は「霊主体従」の考え方がなければならないということです。「眼鏡はづすとは洗濯することざぞ」と書かれているので、身魂磨き、洗濯、改心が出来ていない色眼鏡では、体主霊従、我れ善しの価値観になるので、その色眼鏡は取り除かなければ駄目ですという意味になります。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。