第五巻 地 (九二) つ巻 第十帖 (R6.10.23)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第五巻 地 (九二) つ巻 第十
帖です、お読み下さい。
第五巻 地 (九二) つ巻
第十帖 (一四七)
何事も方便と申して自分勝手なことばかり申してゐるが、方便と申すもの神の国には無いのざぞ。まことがことぞ、まの事ぞ、ことだまぞ。これまでは方便と申して逃げられたが、も早逃げること出来ないぞ、方便の人々早う心洗ひて呉れよ、方便の世は済みたのざぞ、いまでも仏の世と思うてゐるとびつくりがでるぞ、神の国、元の神がスッカリ現はれて富士の高嶺から天地 (あめつち) へのりとするぞ、岩戸しめる御役になるなよ。九月の二十日、ひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 118頁 より)
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今回の帖は書き出しが「何事も方便と申して自分勝手なことばかり申してゐるが、方便と申すもの神の国には無いのざぞ」と書かれています。方便とは仏教用語で、人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段。または、とある目的のための便宜的な手段を意味する言葉ですが、本帖では方便は駄目だと伝えています。何故ならば、方便という言葉を我々が使用する時は「嘘も方便」という言葉で使用することが多いと思います。これでは人を真実に導くどころか、人を騙す行為以外の何ものでまありません。話は脱線しますが、平成廿八年六月から文部科学省の事務次官に就任し、市場調査と称して、未成年者が務める売春店に税金を使用して、何度も何度も通い、更迭された時の全国放送記者会見にて、時の総理大臣に対して「面従腹背」と言ってのけた生き物がいますが、これは方便を通り越した暴言でしか無いでしょう。本帖で神示が伝える、方便は駄目という言葉も、度を過ぎると、このような暴言に変わるのだと投稿者:加藤は思います。「まことがことぞ、まの事ぞ、ことだまぞ」とも書かれています。言動不一致な生き方は、人だけでなく、自分のことも騙すことになると思います。自分勝手とは、自分で自分の嘘を正当化させ、自分を安心させているだけの行為です。言葉、行動、魂や心を一致させなければならないのだと投稿者:加藤は思います。
「方便の人々早う心洗ひて呉れよ、方便の世は済みたのざぞ」「岩戸しめる御役になるなよ」と書かれているように、岩戸を開かなければならないのに、岩戸を閉める側に行かないように、身魂磨きを急いで行ないなさいという意味です。
最後に「いまでも仏の世と思うてゐるとびつくりがでるぞ」ですが、始めにも書きましたが「方便」とは仏教用語で、本来の仏教 (原始仏教) ならば良い教えだと投稿者:加藤も思いますが、現在の仏教は、他の宗教と同じで、我宗教こそが最高であり、神道よりも上に存在するものである。と勘違いしていることが間違えなのです。原始仏教の教えならば、神道信仰の人々にも受け入れられる教えだと思いますが、現在の仏教では、釈迦が方便を使うなら、我々も方便を使用してよいと、坊主ならず我々一般人も方便を使い出している状態です、こんなことを許す仏教では、大変な世になってしまうと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。