第五巻 地 (九二) つ巻 第七帖 (R6.10.20)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第五巻 地 (九二) つ巻 第七帖です、お読み下さい。
第五巻 地 (九二) つ巻
第七帖 (一四四)
神にまつらふ者には生も死も無いのぞ、死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死 (まか) ったのであるぞ、それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初ってから生き通しの神神様の御働きで五六七 (みろく) の世が来るのざぞ。腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐、神漏美の命 (みこと) 忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国の悪わたり来て神は残念ぞ。見ておざれ、神の力現はす時来たぞ。九月十八日、ひつ九⦿。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 116頁 より)
ひふみ神示〔新版〕 (Ten books) [ 岡本天明 ] 価格:8800円 |
本帖は、三ッの段落に分けて読めむ帖になると投稿者:加藤は思います。一ッ目の段落は「神にまつらふ者には生も死も無いのぞ、死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死 (まか) ったのであるぞ、それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ」で、人間の死について書かれた一節となります。先ず文中の「まかる」ですが、漢字では「罷る」と書き、上位者の命によって、その許しを得て行動する。という意味で「官に任ぜられたりなどして地方へ赴く。また、都から、地方へ下る、もどる」や「貴人のそば・貴所から退出・退去する」で、特に「 おそばを去って、あの世へ行く。死ぬ」という意味で使用される言葉です。ですので、神示でいう死とは、この世から消滅することではなく、移動すると考えた方が正しいと投稿者:加藤は思います。それと、臣民でも昔は残さないでという部分ですが、亡骸を残さないとは、どういう意味かと考えた時に、鍵となる言葉は「昔」だと思います。昔とは、岩戸が閉まる前のことで、世がまだミロクの世だった頃を言っているのだと思います。その時代であるならば、臣民も「半霊半物質」であったと思いますので、亡骸は残らないのでしょう。さて、言葉の説明が長くなりましたが、肝心な文章の解釈です。本帖の第一段落で肝心な言葉は「生も死も無い」だと思います。先に死が無いとは、魂のことを指しているので、死は無いのです。生に関係しますが、我々の肉体は基本的に幻想だと言い切っても良いのではないかと投稿者:加藤は考えています。我々が目にしている物は全て幻想、我々が目に出来ていない物こそ真実と考えることは、難しいと思いますが、投稿者:加藤はそれが真実だと確信しています。違う言い方をするならば、めざめて活動している時は、知識や常識という、脳や心に影響するもので、人間の身は洗脳されている状態だということで、眠って無意識の状態が真実ということになります。しかし、睡眠中にも人間の意識は入り込んで来るので、注意は必要ですが…ですので生も無いとなります。
二ッ目の段落は「世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初ってから生き通しの神神様の御働きで五六七 (みろく) の世が来るのざぞ。腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐、神漏美の命 (みこと) 忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ」の部分で、この文章を理解するには、記紀を熟読する必要があると投稿者:加藤は思います。しかし、記紀の裏読みは非常に難解で、個々の読み手によって解釈が変わってくると思いますが投稿者:加藤はそれで良いのだと思っています。鍵となる所は「世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ」が、日本書紀の始まり部分だと気付くことです。この世の、はじまりを理解しておく、よい機会と思いますので、皆さまも一度、記紀を読み返してみては如何でしょうか?「神漏岐、神漏美の命忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ」と書かれていますので、時間が許すならば、是非この帖の理解を深めるためにも、記紀の読み返しを、おすすめします。
最後の段落は「海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国の悪わたり来て神は残念ぞ。見ておざれ、神の力現はす時来たぞ」です。当ブログをご愛顧くださる皆さまは、既に理解していると思います。大峠の様相を書き知らした文章ですね。「海断たれて苦しまん様にして呉れよ」「海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国の悪わたり来て神は残念ぞ」と書かれています。難しい文章ではないと思います。身魂磨きを促している文章も、しっかりと含まれています。全体的には。読んだままの意味として受け止めてよい文章だと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。