第五巻 地 (九二) つ巻 第一帖 (R6.10.8)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第五巻 地 (九二) つ巻 第一帖です、お読み下さい。

第五巻 地 (九二) つ巻

第一帖 (一三八)

 地 (くに) つ巻書き知らすぞ、世界は一つの実言 (みこと) となるのぞ、それぞれの言の葉はあれど、実言 (みこと) は一つとなるのであるぞ。てん詞様の実言 (みこと) に従ふのざぞ、命 (みこと) の世近付づいて来たぞ。九月十五日、一二⦿。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 113頁 より)

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 今回の投稿から、日月神示 第五巻 地 (九二) つ巻へ突入です。早速第一帖の解釈をしていきましょう。本帖は短い帖ですが、日月神示の短い帖としては、さほど難解な内容ではないと投稿者:加藤は思います。しかし、短い帖なので、読み手側の解釈が色々な解釈になることも確かにある帖だともいえると思います。重要になる所は「それぞれの言の葉はあれど、実言 (みこと) は一つとなるのであるぞ」に対して「世界は一つの実言 (みこと) となるのぞ」と前置きされている、前置きの部分だと思います。この実言を霊的な言霊と解釈すると、二ッの意味に解釈できるのです。一ッ目は、それぞれの言の葉=言葉=日本語も外国語も、一つの実言=言霊となると解釈する場合と、二ッ目に、それぞれの言の葉=言葉=日本語も外国語も、一つの実言=てんし様の命 (みこと) =マコト (日本語) と解釈する場合です。

 日月神示研究家の方々の多くは、人道的に、日本語も外国語も、一ッの実言 (みこと) になると、解釈されていますが、投稿者:加藤の私観としては、基本的に日月神示は日本語が完璧に理解できて、日本語を完璧に発音できる人間に向けた神示だと考えています。五十音が完璧に発音できなければ、言霊を発することはできません。多分ですが、多くの日月神示研究家の方々も、投稿者:加藤と同じ考えだと思いますが、有名な方になれば、なるほど人道的な解釈になるのだと思います。しかし、投稿者:加藤は外国語を母国語とする人々を差別するのではなく、区別だけはして置かなければならないと思います。お叱りを承知で、あえてこの内容を投稿させてもらいます。投稿者:加藤が考える日本人の定義を、過去の投稿で書かせてもらったと記憶しています。完璧な日本語の発音が、日本人としては大切なことなのです。肌の色が違うとかが問題なのではありませんし、両親の出身地が問題なのでもありません。大切なことは、五十音の完璧な発音なのです。

 言い訳ではないのですが、今回の投稿では、内容的に気分を害された読者もいるかも知れません。しかし、今回の投稿から突入している日月神示は、国つ巻ですので、日本国と外国の区別だけはして置かないとならないという、投稿者:加藤の考えです。ご理解をお願いします。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。