第四巻 天つ巻 第二十九帖 (R6.10.6)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第四巻 天つ巻 第二十九帖です、お読み下さい。

第四巻 天つ巻

第二十九帖 (一三六)

 この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、今の国々のみ姿見よ、み手届いて居る舞がな、手なし足なしぞ。手は手の思ふ様に、足は足ぞ、これでは病直らんぞ、臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。足地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏 (ふ) まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ、足からお土の息 (いき) がはいるのざぞ、臍 (へそ) の緒の様なものざぞよ、一人前になりたら臍の緒切り、社 (やしろ) に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも跣 (はだし) 足でお土踏まなならんことになるのぞ、神の深い仕組ざからあり難い仕組ざから喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。神の申すやう素直に致されよこの方病直してやるぞ、この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ、読んで神の申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。戦も病の一つであるぞ、国の足のうら掃除すれば国の病直るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。上の守護神どの、下の守護神殿、中の守護神どの、みなの守護神どの改心して呉れよ。いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一どにゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ、九月十三日、一二⦿。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 107頁ー109頁 より)

ひふみ神示〔新版〕 (Ten books) [ 岡本天明 ]

価格:8800円
(2024/10/5 03:50時点)
感想(12件)

 今回の帖は、非常に理解し辛い内容だと投稿者:加藤は思います。ですので先ず、理解しやすいように、文中に書かれている言葉を、理解を進めやすいように変換して置きます。鍵となる言葉は「手」「病」「足」「土」ですので、一ッ々々言葉を変換してみましょう。

 「手が届く」とは、メグリ=カルマに届くと読み替えると判りやすいと思います。ですので「手届かぬところ」とは、メグリに届かないところとなり、メグリの原因のことと理解出来ます、要するに我れ善しの部分と解釈できるのだと思います。言い換えれば、神の道から遠い (手が届かない) とも解釈出来ると思います。もっと簡単ないいかたをすれば、身魂磨きが進んでいないところ=手が届かないところ、ですね。

 「病」とは、我々が一般的にいう病気のことではありません。ここでは病=メグリ=カルマと読めば理解しやすいと思います。

 「足」と「土」ですが、自分の素足で、国常立尊そのものである土から、直接の「力」を得るためには、素足で大地に立てという意味です。ヨガなどでも、素足で大地に立ち、ヨガを行うことが推奨されています。土=国常立尊なので、当然ですが足を綺麗にして置かなければなりません。

 本帖は本文が長文なので、投稿者:加藤の解釈をダラダラと書くと、投稿自体が長くなりますので、最後に「臍の緒」と「三尺上は神界」の説明をして終わりたいと思います。「一人前になりたら臍の緒切り、社 (やしろ) に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ」と書かれています。三尺とは社の床上の高さで、臍の緒が切れて、一人前にならなければ、社に上がり、神の御用はできないという意味だと投稿者:加藤は思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。