第四巻 天つ巻 第二十帖 (R6.9.18)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第四巻 天つ巻 第二十帖です、お読み下さい。

第四巻 天つ巻

第二十帖 (一二七)

 神の世と申すのは、今の臣民の思ふてゐるやうな世ではないぞ、金 (きん) は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、衣類たべ物、家倉まで変るのざぞ。草木も喜ぶ政治ともうしてあらうがな、誰でもそれそれに先きの分る様になるのぞ、お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。悪はどこにもかくれること出来ん様になるのぞ、ばくち、しようぎは無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきやうに吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地にみちみちてうれしうれしの世となるのざぞ。八月の七日、ひつ九のか三ふで。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 103頁 より)

ひふみ神示〔新版〕 (Ten books) [ 岡本天明 ]

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感想(12件)

 本帖は全て、ミロクの世とは如何なる世なのかが書かれている内容だと思います。説明や解釈の必要もなく、読んだままの世と理解すればよいと思います。引用文献で、平仮名で書かれていて、ん?と思う方がいると思うので、平仮名を漢字にして置きます。「ばくち=博打」「しようぎ=娼妓」です。

 日月神示研究家の方々で、本帖が降ろされた昭和二十年八月七日という日付と、岡本天明の神業の日付とを合わせて、深読みされている方もいますが、投稿者:加藤は、本帖に関して、そこまでの深読みの必要はないのではないかと感じています。日月神示を読み、意味を探るように、他の文献を読み、他人の意見を聞き、気付きがあれば、それはそれ、日月神示は八通りに読めると伝えられている文章なので、読み手側が、腹で落とせない内容ならば、それはその読み手には必要の無い内容なのだと思うことでよいのだと投稿者:加藤は思います。読み手に気付きがあれ (スッキリと腹に落ちる) ば、それはその読み手の身魂磨きが一歩進む力になるのだと思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。