第四巻 天つ巻 第八帖 (R6.9.1)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第四巻 天つ巻 第八帖です、お読み下さい。

第四巻 天つ巻

第八帖 (一一五)

 あらしの中の捨小舟と申してあるが、今その通りとなりて居ろうがな、何うすることも出来まいがな、船頭どの、苦しい時の神頼みでもよいぞ、神まつりて呉れよ、神にまつはりて呉れよ、神はそれを待つてゐるのざぞ、それでもせぬよりはましぞ、そこに光あらはれるぞ。光現はれると道はハッキリと判りて来るのぞ、この方にだまされたと思うて、言う通りにして見なされ、自分でもビックリする様に結構が出来てるのにビックリするぞ。富士の御山に腰かけて、この方世界中まもるぞ。かのととり、結構な日と申してあるが、結構な日は恐 (こわ) い日であるぞ。天から人が降る、人が天に昇ること、昇り降りでいそがしくなるぞ。てんし様御遷り願ふ時近づいて来たぞよ。奥山に紅葉ある内にと思へども、いつまで紅葉ないぞ。九月の二日、ひつく⦿。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 96頁 より)

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感想(12件)

 本帖の書き出し「あらしの中の捨小舟と申してあるが」を読んで、おや?と思った方は、よく日月神示を読み込んでいる方だと思います。何故ならば、同じ様な言い回しが日月神示 第三巻 富士 (普字) の巻 第十五帖にも書かれているからです。しかし、第三巻に書かれている「嵐の中の捨小舟」は大峠のことを書いていますが、本帖の「あらしの中の捨小舟」は大東亜戦争のことを書いています。何故ならば、本帖は「今その通りとなりて居ろうがな」と続き「今」とわざわざ言っています。本帖が降ろされた日付を見て、今回の帖の内容を読めば、大東亜戦争のことだと理解できます。

 日月神示を深く理解することは、なかなかに難しいです。投稿者:加藤もまだまだダナァ〜と思う時が多々あります。何故にこんなことを書き出したかというと、本帖の解釈は、日本語としては難しい内容では無いと思いますが、ジックリ読むと、おや?と思う文章だと気付きます。「富士の御山に腰かけて、この方世界中まもるぞ」なども、大本神諭 (明治二十五年 第一集) に似たような文章が書かれています。前帖 (第七帖) に「同じことばかり繰り返すと臣民申しているが、この方の申すことみな違っていることばかりぞ」と書かれていたことを思い出していただきたい。そう考えると日月神示が如何に奥が深いかわかると思います。しかし、一度読んで、全てを理解しようと思って、理解できるものでは無いのが日月神示です、ゆっくり急いで理解を深めてもらいたいと投稿者:加藤は思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。