大本 探求 (R6.8.17)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。本日のお題は、「吉岡御啓示録」の中半部分を、大本 探求として解釈してみようと思います。先ず、本文の中半をもう一度お読み下さい。

 しかし、お筆先にも、『やむを得ずの事が出来(しゅったい)致すぞよ』とあるし、『おそしはやしはあるなれど、筆先に出した事は毛筋の横巾も間違いはないぞよ』とある。『立替を指折り数え松虫の冬の霜先あわれなるかな』『立替を世人の事とな思いそ立替するは己がみたまぞ』との神歌もある。立替がいつ来ようと人間はすべてに最善を尽くしておかねばイカン。神様第一として、よく働き、少しでも神様にご苦労をかけん様にすべきじゃ。先ず自分の心を立て替えて心に天国を形づくり、家に世に天国浄土を作るため、努力するのが行じゃ。『行』とは断食をして滝に打たれたり、逆立ちして山を登ったりする事が決して正しい『行』ではない。山の木を切った後は必ず苗木を植えんとなぁ‐。山は緑に、田は黄色く実り、家は美しく、家内和合、屋敷には花や庭木を植えて庭園を造る。この場合、松(赤松)と梅は一、二本づつでも植える。墓地は花壇の如くするのが天国の相。理想じゃが。そして月に一度は氏神様と墓地に参拝すればよい。これでこそ信者じゃ。大峠となったら食物どころか酸素さえ乏しくなることがある。その時は、上に横穴を掘って、うつ伏せとなり、梅漬けを口に含んでジットしておればよい。また、女松(黒松は松に似た木じゃ…)の葉をシガンでおったら餓えを凌げる。故に土地のある人は、家族が一年中頂ける梅漬けを確保するだけの梅の木を植えておくことじゃ、但し、梅を漬けるのに色素を使わず、シソを使うことじゃ。シソには梅に含有しておらん栄養分を持っていて梅にしみ込むのでなぁ‐。梅は消化したらアルカリ性となり、血液の酸化を防ぐので健康上よいから、毎日一つ以上は頂くがよろしい。火を大切にする人はあるが、お土と水の有り難さを知らん人が多い。お土やお水の神聖を知らず、山の境界を争ったり、水喧嘩をしたりする者がある。奪った山の木で建てたお宮や、奪った畑で作った果物、盗った水で作ったお米をお供えしても神様は受け取って下さらん。お供え物は清らかな物でないとイカン。獣肉などは絶対に悪いが、エスキモーが供えるトナカイの肉は御笑納あそばされる。また、日本人でも、深山で働いておって、牛肉の缶詰一つしかないとする、そこで止むを得ずお詫びをして、その牛缶をお供えした場合は、神様はこれを光り輝くお米と換えて下さって受け取って下さる。要は真心じゃ。ただし、牛肉を絶対食べるなと云うのではない。ケモノは人間を見たら腹を見せるもの故、お尻や太腿に肉が着き、鳥は腹に、魚は背中についている。こうして人間に近い所についているのは、人間は万物の長のこと故、これ等を活用するよう神様がそうなさってある。お土やお水を穢して何とも思わん人間ばかりじゃ、お土は神様のお体であり、お水は血液じゃ。農家は自分の田よりも先に他家の田の水を心配し合い、商人は薄利で、工業家は損益を超越してよい品を作る、という風な人間ばかりであったら世の中は平和なんじゃがなぁ‐。先あわれなるかな。

 「お筆先にも、『やむを得ずの事が出来(しゅったい)致すぞよ』とあるし、『おそしはやしはあるなれど、筆先に出した事は毛筋の横巾も間違いはないぞよ』とある」ですが、先ず「御筆先」の説明を少々、御筆先=大本神諭。大本の開祖である出口ナオ (直) が、大正七年に逝去するまでの廿七年間に、自動書記により、国常立尊より降ろされた一連の文章の事です。さて、本文の解釈ですが、簡単に説明すると大本神諭にて預言 (予言ではありませんので注意) された事は、一字一句として違う事はない、と言っている文章になります。

 次に「『立替を指折り数え松虫の冬の霜先あわれなるかな』『立替を世人の事とな思いそ立替するは己がみたまぞ』との神歌もある。立替がいつ来ようと人間はすべてに最善を尽くしておかねばイカン。神様第一として、よく働き、少しでも神様にご苦労をかけん様にすべきじゃ。先ず自分の心を立て替えて心に天国を形づくり、家に世に天国浄土を作るため、努力するのが行じゃ」ですが、立替=大峠を来るぞ来るぞと他人事のように思っては行けない。立替はまず、自分の心=身魂を立替て、神様に御苦労をかけては駄目だと言っている。自分の心を立替るとは、自分の心に天国を形づくり、家や世界に天国浄土を形づくりなさい。ということを云っているのだと思います。

 「火を大切にする人はあるが、お土と水の有り難さを知らん人が多い。お土やお水の神聖を知らず、山の境界を争ったり、水喧嘩をしたりする者がある。奪った山の木で建てたお宮や、奪った畑で作った果物、盗った水で作ったお米をお供えしても神様は受け取って下さらん。お供え物は清らかな物でないとイカン」ですが、この文章は説明の必要は無いと思いますが一寸だけ説明すると、土と水の有り難さの部分、土とは神様の体で、水とは神様の血液だと考えることで、文章の理解が進むと投稿者:加藤は考えます。そして、不正な方法で手に入れた物は全て、どんなに沢山を神様に供えても、神様は受け取らないと書かれています。

 その他、大峠の最中は酸素まで少なくなる、家の庭に赤松と梅を育てて梅をかじっていろ、食物が無くなったら、四つ足を食しても良い、等々が書かれていますが、この辺りの解釈をするとなると、投稿者:加藤の個人的な考え方が前に出過ぎますので、皆さまで色々と意味を想像してみて下さい。酸素が少なくなるとは?現在世界的に山火事が多く、植物が激減するから酸素が少なくなるのか?とか、梅干しの栄養価を考え直して、毎日の食事に、梅干しを入れてみるとか、獣肉を食さぬ意味は?、獣肉を食さなければならない状況とは?、等々を考えることで、色々なことの理解が進むのではないかと投稿者:加藤は考えます。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。