第三巻 富士 (普字) の巻 第二十ニ帖 (R6.8.12)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第三巻 富士 (普字) の巻 第二十二帖になります。お読み下さい。

第三巻 富士(普字)の巻

第二十二帖 (一〇二)

 まつりまつりと、くどく申して知らしてあるが、まつり合はしさへすれば、何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、悪も善もないのぞ、まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、この道理分りたか、祭典と申して神ばかり拝んでゐるやうでは何も分らんぞ。そんな我れよしでは神の臣民とは申せんぞ、早うまつりて呉れと申すこと、よくきき分けて呉れよ。われがわれがと思ふてゐるのは調和 (まつり) てゐぬ証拠ぞ、鼻高となればポキンと折れると申してある道理よく分らうがな、この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になるのぞと申すのは、慢心と取りちがひは調和 (まつり) の邪魔になるからぞ。ここまでわけて申さばよく分かるであろう、何事も真通理 (まつり) が第一ぞ。八月の二十九日、⦿の一二⦿。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 83頁ー84頁 より)

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感想(12件)

 今回の帖は、当ブログをご愛顧くださる皆様には、難しい内容ではないと投稿者:加藤は思います。しかし、本帖の理解を深めるために、本帖の読み方のコツのような方法を書き止めて置きたいと思います。前回の投稿で、「身魂磨き」と「神祀り」は同義だと理解してほしいと書きました。それを踏まえて、本帖の文中に書かれている「まつり」という言葉を「身魂磨き」と置き変えて、もう一度読んで見て下さい。本帖の最後の文章に「何事も真通理 (まつり) が第一ぞ」と書かれています。祀り=身魂磨き=マコトの道理と考えて読む事で、今回の帖は理解が深まる帖だと投稿者:加藤は思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。