第三巻 富士 (普字) の巻 第二十帖 (R6.8.7)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第三巻 富士 (普字) の巻 第二十帖になります。お読み下さい。
第三巻 富士(普字)の巻
第二十帖 (一〇〇)
今のうちに草木の根や葉を日に干して貯へておけよ、保持 (うけもち) の神様お怒りざから、九十四は五分位しか食べ物とれんから、その積りで用意して置いて呉れよ。神は気もない時から知らして置くから、この神示よく読んで居れよ。一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな、米ばかりでないぞ、何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、臣民ばかりでないぞ、神々様さへ今度は無くなる方あるぞ。臣民と云ふものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、いざとなりての改心は間に合はんから、くどう気つけてあるのぞ。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ、それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊がこの国に満つ世になりたら神の力現はすのぞ。江戸に先づ神まつれと、くどう申してあることよく分かるであろがな。八月の二十七日、⦿のひつ九のか三。
* 引用文献に誤植がありましたので、修正して投稿しています。「何もかも臣民もなくなるとろこまで行かねばならんのぞ」は「何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ」の間違えです。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 81頁ー82頁 より)
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今回の帖は、投稿者:加藤として、来てしまったっと感じる帖です。どういう意味かというと、避けたかった帖ということです。理由としては、解釈が長くなりそうな帖だということです。判りづらいですが、本帖は、岡本天明達に宛てた帖になります。書き出しの「今のうちに草木の根や葉を日に干して貯へておけよ、保持 (うけもち) の神様お怒りざから、九十四は五分位しか食べ物とれんから、その積りで用意して置いて呉れよ」でも理解できると思います (九十四=今年=昭和十九年収穫の秋の事) 。しかし岡本天明達に宛てた文章だとしても、我々にも理解して置かなければならない内容だと投稿者:加藤は考えるので、少々厄介な帖となってしまうのです。基本的には岡本天明達の行った神業が、どんなものであったのかを理解して置かないと、日月神示の全体を読めないのですが、今までの投稿では、岡本天明達に宛てた文章は、あまり深く解釈して来ませんでした。何故ならば、黒川柚月 著の「岡本天明伝」を読んでもらう事が投稿者:加藤の投稿を読むよりも、一番早いからです。
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「江戸に先づ神まつれと、くどう申してあることよく分かるであろがな」の部分だけ今回の投稿で、説明させてもらいます。今後の投稿で、日月神示の巻と帖が進むことで、見えてくるとは思いますが、一二三の仕組の根幹 (江戸の「奥山」に祀られた神々) とは、
昭和十九年八月八日 奥山大神 (=天之日津久神)
昭和十九年九月二十八?日 大国主命 (幽界主宰神、祖霊社守護神)
昭和十九年十二月八日 天照大神、月読尊、素盞嗚尊
昭和十九年十二月二十三日 (辛酉の日) 十柱の大神
昭和二十年四月二十八?日 守護神
昭和二十年六月二十八?日 祖霊社
昭和二十年八月八日日 天津日嗣皇尊、豊受大神、国常立大神、豊雲野尊
と上記が「奥山」に祀られた神々で、これ以降も「鳴門の仕組」「甲斐の仕組」「オワリの仕組」など、神命を受けて、次々に神業が岡本天明達により行われて行きます。このことは、日月神示を読む上で、理解だけはして置かなければならないことだと投稿者:加藤は思います。機会があれば、本帖をまた取り上げて、解釈したいと思います。
今回の解釈の最後に、一ッ付け加えて解釈したい部分は「それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊がこの国に満つ世になりたら神の力現はすのぞ」の部分です。特に注目して置きたいところは「言霊がこの国に満つ世」です。日月神示研究家の中矢伸一氏は、「言霊=善言美詞」だといっています。善言美詞とは、善い言葉、美しい詞 (ことば) で、身魂が磨かれて改心できた臣民が自然に発する言葉との意味です。このような言霊=善言美詞が、日本中の上から下から、自然に発せられる様になれば「神力」が現れることになるのだと投稿者:加藤は思います。当然の話ですが…本帖の「おまけ」としての解釈でした。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。