第三巻 富士 (普字) の巻 第十九帖 (R6.8.6)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第三巻 富士 (普字) の巻 第十九帖になります。お読み下さい。
第三巻 富士(普字)の巻
第十九帖 (九九)
神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、口あいたまま何うすることも出来んことになるのぞ、四ツん這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、火と水の災難が何んなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒 (みろく) の世の臣民とするのぞ、どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな、高い所から水流れるやうに時に従ひて居れよ、いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、くどう気附けて置くぞ、何よりも改心が第一ぞ。八月の二十六日、⦿のひつくのかみ。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 80頁ー81頁 より)
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本帖は、当ブログをご愛顧くださる皆さまには、難しい内容ではないと投稿者:加藤は思います。この帖で重要な部分は「獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ」と「身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒 (みろく) の世の臣民とするのぞ」の二文章だと投稿者:加藤は思います。両方共に、身魂磨きに付いて書かれた文章なのですが、最初の文章では、身魂磨きが出来ている臣民は「空を飛び」、対して身魂磨きが済んでいない臣民は「獣となり、這い回る」と書かれています。これは来る大峠で、臣民が完全に二極化されることが記された文章です。次の「神が拾い上げて弥勒の世の臣民とする」は、身魂磨きが済んでいる臣民と、身魂磨きが済んでいない臣民との「判定」は神が行うということを理解しなければなりません。
話が、本帖の内容とは外れますが、当ブログを読んでくださる皆さまの中で、何かしらの宗教を信仰している方が居るかもしれないので、注意として、書き添えます。日月神示に出てくる「神」とは国常立大神ですが、これは日本人に対して、改心 (身魂磨き) を促しやすい様に、神道の神様の姿で現れています。キリスト教であるならば、天使 (背中に白い翼を持ってる) 姿で現れるでしょうし、仏教ならば、仏や菩薩の姿で現れるでしょう。しかし、注意したいことは、日月神示は宗教ではありません、基本的に神道も宗教ではありません。日月神示で宗教は「悪」としているのは、信仰が悪なのではなく、運営が悪だと伝えているのです。信仰とは自ら行うもので、代わりに教祖が行ってくれるものではありません。難病の子供を前に、親はこの病気を自分が代わってあげたいと思っても、無理な話です。子供自らが病気と対峙しなければならないのです。貴方の身魂磨きを、どこかの教祖が代わってくれますか?不可能です。宗教批判をする気は投稿者:加藤にはありません。ただ一ッ言えることは、初代教祖が亡くなった宗教は、ただの「悪」です。
大本も、出口ナオと出口王仁三郎という、共同教祖が亡くなった今、変な宗教団体にだけはなってもらいたくないと投稿者:加藤は切に願います。因みに、先の大戦の後に、米国から押し付けられた「法律 (かなり無理のある) 」で、神道も宗教法人にされてしまいました。日月神示の身魂磨きが大切な理由は、この辺の政治的な悪習も、身魂が磨けた人が増えることで、一蹴できると投稿者:加藤は信じてるからです。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。