第三巻 富士 (普字) の巻 第十三帖 (R6.7.29)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第三巻 富士 (普字) の巻 第十三帖になります。順番では第十二帖ですが、第十二帖は (R5.6.13) で投稿済ですので、第十三帖へ飛びますので、今回のお題、第十三帖を読んで下さい。

第三巻 富士(普字)の巻

第十三帖 (九三)

 何もかもてんし様のものではないか、それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ、一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ、一本の草でも神のものぞ、野 (ぬ) から生れたもの、山から取れたもの、海の幸もみな神に供へてから臣民いただけと申してあるわけも、それで分るであろうがな。この神示よく読みてさへ居れば病気もなくなるぞ、さう云へば今の臣民、そんな馬鹿あるかと申すがよく察して見よ、必ず病も治るぞ、それは病人の心が綺麗になるからぞ、洗濯せよ掃除せよと申せば臣民何も分らんから、あわててゐるが、この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ、神は無理は言はんぞ、神の道は無理してないぞ、よくこの神示読んで呉れよ。よめばよむほど身魂みがかれるぞ、と申しても仕事をよそにしてはならんぞ。臣民と申すものは馬鹿正直ざから、神示よめと申せば、神示ばかり読んだならよい様に思うてゐるが、裏も表もるのぞ。役員よく知らしてやれよ。八月二十二日、⦿のひつ九のか三のお告。

*引用文献に誤植がありましたので、修正して投稿しています。「必ず病も直るぞ」の文章は「必ず病も治るぞ」の間違いです。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 76頁ー77頁 より)

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感想(12件)

 本帖の内容ですが、当ブログをご愛顧して下さる皆さまには、さして難解な文章ではないと投稿者:加藤は思います。しかし、日月神示でクドク書かれている内容が、二ッほどありますので、投稿者:加藤もクドク解釈していきます。

 「一本の草でも神のものぞ」ですが、日月神示でお馴染みの「臣民には所有物、所有権=自分のもの」などは一切無いということが書かれています。よく「どんなに金を稼いでも、どんなに立派な家を手に入れても、棺桶の中までは持って行けない」と言われるように、所有意欲とは、肉体が欲しているのです。肉体が欲していることが前に出て来ると云うことは「体主霊従」の何ものでもありません。ということは、どこかしらが「我れ善し」の行動になっているということになります。「我れ善し」に付いて、一ッ例を上げます。貴方の身内が理不尽な殺人鬼に殺されたとしましょう。貴方は、そんな殺人鬼を世に放していていてはいけないという「正義感」で、その殺人鬼を「正義」のために殺害しました。如何でしょうか?「正義感」という自分に都合の良い言い訳で「報復」したに過ぎません。日月神示では「悪を抱き参らせよ」と伝えています。これの意味は「愛と調和」以外の何ものでもありません。チョット何いってるの?と思うかも知れませんが、人のことを許せない人は、自分のことを許していない人だと投稿者:加藤は考えています。どんな時でも立ち止まり、冷静に考え、改心して行きたいものです。

 「この神示よく読みてさへ居れば病気もなくなるぞ、さう云へば今の臣民、そんな馬鹿あるかと申すがよく察して見よ、必ず病も治るぞ」が二ッ目になります。人が病になる、事故に遭う等々はメグリ=カルマによる、因果応報の結果です。全宇宙 (絶対的想像主) のことわりの中で、逆らうことなど出来るはずがないのです。ですので日月神示ではメグリを取ることをシツコク、身魂磨き、掃除、洗濯と伝えているのだと投稿者:加藤は思います。カルマ=メグリに関しては、別カテゴリーの探求小屋で (R5.9.27) で投稿しましたが、まだまだ不十分な探求だと投稿者:加藤は思っていますので、機会をみて、第二弾、第三弾、第四弾…と探求を続けたいと思います。(第四弾って、そんなにあるかなぁ…)

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。