第三巻 富士 (普字) の巻 第十帖 (R6.7.24)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第三巻 富士 (普字) の巻 第十帖になります。読んで下さい。
第三巻 富士(普字)の巻
第十帖 (九〇)
いよいよ戦烈しくなりて喰ふものも何もなくなり、住むこともなくなりたら行く所なくなるぞ。神の国から除かれた臣民と神の臣民と何ちらがえらいか、その時になりたらハッキリするぞ、その時になりて何うしたらよいかと申すことは神の臣民なら誰でも神が教えて手引張ってやるから、今から心配せずに神の御用なされよ、神の御用と申して自分の仕事をなまけてはならんぞ。何んな所にゐても、神がスッカリと助けてやるから、神の申すやうにして、今は戦して居りて呉れよ。てんし様御心配なさらぬ様にするのが臣民のつとめぞ。神の臣民言 (こと) に気をつけよ、江戸に攻め来たぞ。八月の十九日、⦿のひつ九の⦿。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 74頁−75頁 より)
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本帖は前帖からの続きから入る神示となります。「いよいよ戦烈しくなりて喰ふものも何もなくなり、住むこともなくなりたら行く所なくなるぞ」とは前帖で書かれていた「地獄の三段目」のことであり、衣食住が無くなり、人が住めなくなる。という内容の繰り返しだと読めます。衣食住が無くなるとは、実質的に物質世界の終わりを告ていると投稿者:加藤は考えます。
「神の御用と申して自分の仕事をなまけてはならんぞ」と「てんし様御心配なさらぬ様にするのが臣民のつとめぞ」の文章で「日月の神」が云う神の御用=神業が見えてくると投稿者:加藤は思います。神業といえば、岡本天明達へ宛てた文章にも考えられますが、「てんし様御心配なさらぬ様にするのが臣民のつとめぞ」の部分に関しては、臣民と直接書かれているので、臣民に宛てた文章だと読めます。信仰心を持つのは良いことだと投稿者:加藤も思いますが、信仰だけでは駄目だと読み取れます。自分の仕事を蔑ろにすると、てんし様が心配すると伝えているからです。
「江戸に攻め来たぞ」唐突に過去形の言葉で締め括られる帖なのですが、この日月神示が降ろされた、日付と、その日時に後の歴史をみても、ちょっとシックリしない言葉です。ここは雛形論の話で読み取るのが正解ではないかと投稿者:加藤は思います。ですので、神界では悪神が「江戸に攻め込んで来た」のでしょう。神界で起こることは、地上界でも起こります。が、昭和十九年十一月二十四日に、マリアナ諸島から飛び立った、米国の B-29 爆撃機による空襲は、昭和二十年三月十日の東京大空襲に比べれば、日月神示に示される様な内容ではないと思いますし…マァ、雛形論で、神界では「江戸が攻撃を受けた」と理解しておくしかないと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。