第三巻 富士 (普字) の巻 第五帖 (R6.7.16)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第三巻 富士 (普字) の巻 第五帖になります。読んで下さい。

第三巻 富士(普字)の巻

第五帖 (八五)

 喰うものがないと申して臣民不足申してゐるが、まだまだ少なくなりて、一時は喰ふ物も飲む物もなくなるのぞ、何事も行 (ぎょう) であるから喜んで行して下されよ。滝に打たれ、蕎麦 (そば) 粉喰うて行者は行してゐるが、断食する行者もゐるが、今度の行は世界の臣民みな二度とない行であるから、厳しいのぞ、この行出来る人と、よう我慢出来ない人とあるぞ、この行出来ねば灰にするより外ないのぞ、今度の御用に使ふ臣民はげしき行さして神うつるのぞ。今の神の力は何も出ては居らぬのぞ。この世のことは神と臣民と一つになりて出来ると申してあろがな、早く身魂みがいて下されよ。外国は〇、神の国は • と申してあろが、 • は神ざ、〇は臣民ぞ、〇ばかりでも何も出来ぬ、 • ばかりでもこの世の事は何も成就せんのぞ、それで神かかれやうに早う大洗濯して呉れと申してゐるのぞ、神急 (せ) けるぞ、この御用大切ぞ、神かかれる肉体沢山要るのぞ。今度の行は〇を綺麗にする行ぞ、掃除出来た臣民から楽になるのぞ。どこに居りても掃除出来た臣民から、よき御用に使って、神から御礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。神の臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ、今は一分もないぞ、一厘もないぞ、これで神国の民と申して威張ってゐるが、足許からビックリ箱があいて、四ッん這ひになっても動かぬことになるぞ、土もぐってゐても灰になる御霊は灰ぞ、どこにゐても助ける臣民行って助けるぞ、神が助けるのでないぞ、神助かるのぞ、臣民も神も一緒に助かるのぞ、この道理よく腹に入れて呉れよ、この道理分りたら神の仕組はだんだん分りて来て、何といふ有難い事かと心がいつも春になるぞ。八月の十四日の朝、⦿のひつ九の⦿。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 70頁ー71頁 より)

ひふみ神示〔新版〕 (Ten books) [ 岡本天明 ]

価格:8800円
(2024/7/15 05:24時点)
感想(12件)

 今回の帖は、臣民に向けた「行 (ぎょう) 」に付いて書かれた帖だと投稿者:加藤は理解しています。今までは基本的に、岡本天明達に向けた神業が示されてきていましたが、今回は臣民に向けた「行」です。「今度の行は世界の臣民みな二度とない行であるから」「神かかれる肉体沢山要るのぞ」「土もぐってゐても灰になる御霊は灰ぞ、どこにゐても助ける臣民行って助けるぞ、神が助けるのでないぞ、神助かるのぞ、臣民も神も一緒に助かるのぞ」との文章からも理解出来るように、上記の文章になるように「行」をおこなえという意味の神示です。

 「行」というと、断食や、山籠り、滝行、等々の苦行を思い浮かべるかもしれませんが「今度の行は〇を綺麗にする行ぞ」と書かれています。日月神示では自分勝手な、意味の無い苦行などは求めていません。しかし「外国は〇、神の国は • と申してあろが、 • は神ざ、〇は臣民ぞ」と書かれていますので、本帖では「〇=臣民」「 • =神」と読み、今までの〇や • とは一寸違う読み方です。さて、それでは日月神示の「行」とは何でしょう。それは「臣民が生きて、生活する全ての事が行だと理解する事が出来ます」常に自分の行いに意識を向けて、「体主霊従」「我れ善し」となっていないか?「身魂磨き」「大洗濯」を行い、常に「善い事はすぐに始め」「悪い事はすぐに止め」改心を心掛けているか?「〇ばかりでも何も出来ぬ、 • ばかりでもこの世の事は何も成就せんのぞ、それで神かかれやうに早う大洗濯して呉れと申してゐるのぞ、神急 (せ) けるぞ、この御用大切ぞ、神かかれる肉体沢山要るのぞ」の文章がそのまんま、今回の帖が伝えたい神示なのだと投稿者:加藤は思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。