第三巻 富士 (普字) の巻 第四帖 (R6.7.15)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第三巻 富士 (普字) の巻 第四帖になります。読んで下さい。

第三巻 富士(普字)の巻

第四帖 (八四)

 一二三 (ひふみ) の仕組が済みたら三四五 (みよいづ) の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七 (みろく) の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒 (みろく) の仕組のことぞ、獣 (けもの) と臣民とハッキリ判 (わか) りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから、洗濯大切と申してあるのぞ。今度のお役きまりたらそのままいつまでも続くのざから、臣民よくこの神示 (ふで) よみておいて呉れよ。八月十三日、⦿のひつくのか三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 69頁 より)

ひふみ神示〔新版〕 (Ten books) [ 岡本天明 ]

価格:8800円
(2024/7/14 12:58時点)
感想(12件)

 本帖の重要な文は「獣 (けもの) と臣民とハッキリ判 (わか) りたら、それぞれの本性出すのぞ」という所だと投稿者:加藤は思います。日月神示ではクドイほど出てくる言い回しです。

 今回の帖も、内容的には難しい内容では無いと思います。一二三、三四五、五六七の仕組に付いても、当ブログをご愛顧して下さる皆さまには、お馴染みの言葉だと思いますので、今回の投稿では「獣」に付いて、考察してみたいと思います。

 「獣」とは、日月神示的に考えると、人間でありながら、獣となった人を指し、死後に魂ごと灰にされてしまう人間のことです。魂ごと灰にされるということは、輪廻転生が終わるということです。基本人間には死がありません、輪廻転生を繰り返し、魂の成長を続けるのです。一般的に死ぬということは、肉体が年月とともに、風化し滅びることで、魂は次の新しい肉体へと移ります。

 さて「獣」との表現は、聖書にも出てきます。聖書による「獣」とは、すごく簡単に説明すると、人間が悪魔に憑依 (心身が乗っ取れれている) されている状態のことをいいます。上記のような表現 (説明) だと、少々分かり難いとは思いますが、結果としては日月神示的にも、聖書的にも、同じと言えば同じで、違うと言えば違うのではないかと投稿者:加藤は思いますが…ここでは深く追求しないことにします。日月神示的には、悪神側についた人間が「獣」、聖書的には、悪魔側についた人間が「獣」との解釈でよいと思います、日月神示と聖書に書かれている「獣」という意味の解釈は、さほど重要ではないと思いますので…ここでは聖書にも「獣」という表現が使用されているという事実だけを理解してもらえれば良いと思います。機会があれば探求小屋の方で、聖書に書かれている「獣」を探求してみたいと思っています。

 日月神示では、悪神も必要神として神が悪神をも「抱き」改心させる。と言ってますが、人間が悪神側につくと、その人間は、魂まで灰にされるという…マァ、魂ごと灰にされないように、身魂磨きと大洗濯で改心すればよいのだと投稿者:加藤は考えます。

 最後に注意を一ッ、魂が獣化した人のほとんどが、自分の魂が獣化している自覚が無い事です。もっと言うならば、自分の魂が獣化しているにもかかわらず、自分の魂は光側にいると思い込んでいる事が多いです。この状態を見極めるには、自分が「体主霊従」「我れ善し」の状態になっていないかを、常に自問する事が必要です。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。