第二巻 下 (四百) つ巻 第三十六帖 (R6.7.2)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第三十六帖になります。読んで下さい。
第二巻 下 (四百) つ巻
第三十六帖 (七八)
神をそちのけにしたら、何も出来上らんやうになりたぞ。国盗 (くにと) りに来てグレンと引繰り返りて居ろうがな、それでも気づかんか。一にも神、二にも神、三にも神ぞ、一にも天詞様、二にも天詞様、三にも天詞様ぞ。この道つらいやうなれど貫きて呉れよ、だんだんとよくなりて、こんな結構なお道かと申すやうにしてあるのざから、何もかもお国に献げて自分の仕事を五倍も十倍も精出して呉れよ。戦位何でもなく終るぞ。今のやり方ではとことんに落ちて仕まうぞ、神くどう気つけて置くぞ。国々の神さま、臣民さま改心第一ぞ。八月三日、ひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 61頁ー62頁 より)
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本帖は、当ブログをご愛顧して下さる皆さまには、難しい内容では無いと思います。帖の最後に「国々の神さま、臣民さま改心第一ぞ」と締め括っています。日月神示を読むと、クドイと思わず言ってしまいそうになる「改心」と「身魂磨き」ですが、日月神示で一番伝えたいことだからクドク何回も何回も書かれているのだと投稿者:加藤は思います。
今回の投稿では、帖の解釈というより「改心」ということを投稿者:加藤なりに深掘りしてみたいと思います。改心する、改心できた、とはどういうことなのでしょう。投稿者:加藤は「自分の心?意識?の奥底 (精神世界) を注意深く見つめ直すことから始まるのだと思います。余談になりますが投稿者:加藤が十代の後半から二十代前半に、平川出版社から出ていたマインドブックというシリーズの本を読み漁った思い出があります。最近では本屋で見かけないのですが、増刷されてはいないのかもしれません。マニアックすぎるし、内容は不可解だしの出版物なので…
古代インドのヨーガなどは、肉体のバランスを整えることで、肉体の内面を意識する健康法です。日本にも禅という考え方があり、肉体の内面を意識する修行方法です。どちらにも共通することは、自分自身の「気」の流れに意識を向けるという作業になります。目に見えないものを、見る (感じる) 訓練ですね。
1960年代後半に巻き起こった「ヒッピー」と呼ばれる若者達の影響なのかは判りませんが、日本人の若者が「自分探しの旅」と言って、多くがインド方面に向かいます。投稿者:加藤も、その様な若者に、何故か今でも多く会う機会があります。そこで決まり文句の様に彼らに「インドに旅に出ても、自分など見つけられ無いから、格好をつけずに、自分探しなどと言わずに、一寸インドまで散歩に行くと言え、その方がよっぽど格好がイイ」と。感の良い方は気付いたと思いますが、改心の始まりは、自分探しの旅の始まりなのです。インドに行く必要は全くありません。確かにインドという場所は、日本とは感覚的? (意識的?) に重力が違うので、自分の内面にはアクセスしやすいのかなとは思いますが…
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。