第二巻 下 (四百) つ巻 第三十四帖 (R6.6.30)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第三十四帖になります。読んで下さい。
第二巻 下 (四百) つ巻
第三十四帖 (七六)
臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、なかなかさうはならんぞ、臣民に神うつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民幾人もないぞ、みな曇りてゐるから、これでは悪の神ばかりかかりて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦すむと思うてゐるのか、自分の心よく見てござれ、よく分るであろがな、戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ、富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな、戦は雲のかかってゐるところぞ、頂上 (いただき) までの正味のところはそれからぞ。一、二、三年が正念場ぞ。三四五 (みよいづ) の仕組と申してあろがな。八月の三日、ひつくのか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 60頁−61頁 より)
ひふみ神示〔新版〕 (Ten books) [ 岡本天明 ] 価格:8800円 |
本帖は時代的な背景を考え、岡本天明達の当時の考え方が伺える帖だと投稿者:加藤は思います。「臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、なかなかさうはならんぞ」と「それからが大切ぞ」と書かれています。岡本天明達は、大東亜戦争が終結すれば、すぐにでも岩戸が開き、ミロクの世が来ると考えていたと思われる書き方です。そして令和六年現在を見ると「まことの世の元からの臣民幾人もないぞ、みな曇りてゐるから、これでは悪の神ばかりかかりて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦すむと思うてゐるのか」との文章に続くのではないかと投稿者:加藤は思います。
さて投稿者:加藤は戦後生まれですが、戦争被害を間接的にではありますが、多く受けた時代を生きて来ました。日本国のために死んでいった若い命には感謝しかありませんし、現サンシャイン60である、昔の巣鴨プリズンにて処刑されたA級戦犯と呼ばれた (米国の茶番としか言いようのない東京裁判で) 人々や、靖国神社に祀られた人々にも投稿者:加藤は感謝と哀悼の心でいっぱいです。しかし、投稿者:加藤は一寸だけ不思議に思う事があります。歴史的に多くの一部隊が玉砕された記録が残っていますが、その報告を一体だれがしたのでしょうか?部隊の長は、若い命を全滅させて、長である自分は、報告の義務があるからと、本部へ逃げ帰った (そうで無い事を信じたいが) のでしょうか?それと、戦時中に全国民が全財産を放出して終戦をむかえたはずですが、財閥という組織は、どのように財閥を維持させる財を捻り出したのでしょうか?戦後の復興は大事な事だと思います。現代の戦争も、戦争を始める事は簡単でも、終結させて、戦後の処理をする事の方が、実際の戦争という行為よりも大変な労力だと投稿者:加藤は考えます。「戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、それからが大切ぞ」今、我々に突き立てられている課題は、この一文ではないでしょうか?投稿者:加藤は、日本は未だ戦後の処理が終わっていない気がします。高度成長という幻影に目を奪われ、金銭と物質だけを追い求める、これではミロクの世が来るのは、はるか遠いと思えてなりません。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。