第二巻 下 (四百) つ巻 第三十一帖 (R6.6.24)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第三十一帖になります。読んで下さい。
第二巻 下 (四百) つ巻
第三十一帖 (七三)
この神に供へられたものは、何によらん私することならんぞ、まゐりた臣民にそれぞれ分けて喜ばして呉れよ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、神喜べば天地光りて来るぞ、天地光れば富士 (ここ) 晴れるぞ、富士は晴れたり日本晴れとはこの事ぞ。このやうな仕組でこの道ひろめて呉れよ、それが政治ぞ、経済ぞ、真通理 (マツリ) ぞ、分りたか。八月の三日、ひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 58頁ー59頁 より)
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本帖は、難しいい言葉が少ないので、ウンウンと読んでしまうかも知れないが、そこは日月神示ですので、あまりサラッと読んでは駄目だと投稿者:加藤は思います。では注意しながら、慎重に文章を解釈して見ましょう。
「この神に供へられたものは、何によらん私することならんぞ、まゐりた臣民にそれぞれ分けて喜ばして呉れよ」この文章は、神のものは、万人のものであるので、独り占め (私すること) は駄目だという意味ですが、今回の帖の文頭で「神 → 臣民」の順番で書かれていることを覚えて置いて下さい。
「臣民喜べば神も喜ぶぞ、神喜べば天地光りて来るぞ、天地光れば富士 (ここ) 晴れるぞ、富士は晴れたり日本晴れとはこの事ぞ」と続きます。ここでは「臣民 → 神 → 天地 → 富士 (日本国) 」の順番です。喜びや光が広がって行く順番が、個々の臣民一人々々からだと示されている点が重要です。これは言葉を変えると、臣民一人々々の身魂磨きが重要で、神から我々臣民に対して「ハイどうぞ!」という様に、大峠以降の「ミロクの世」が与えられるのではないという意味です。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。