第二巻 下 (四百) つ巻 第二十八帖 (R6.6.18)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第二十八帖になります。読んで下さい。
第二巻 下 (四百) つ巻
第二十八帖 (七〇)
またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。戦の手伝ひ位なら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。この方は元のままの身体 (からだ) 持ちてゐるのざから、いざとなれば何んなことでもして見せるぞ。仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出て来るが、仕まひにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、かなとは⦿ (カミ) の七 (ナ) ぞ、神の言葉ぞ。今の上の臣民、自分で世の中のことやりてゐるように思うているが、みな神がばかして使ってゐるのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心して呉れよ。年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、神の国の人だねの無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見て居れんから、神はいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂くもりてゐるから、それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、このことよく心得て下されよ、神せけるぞ。八月二日、ひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 57頁 より)
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今回の帖は、どのように読んでも、大峠に対する準備を促している内容だと投稿者:加藤は思います。「またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ」書き出しから、用意 (準備) なされよと書かれています。我々が出来る準備とは「身魂磨き」と「改心」以外はありません。では、それ以外の文章を解釈して見ましょう。
「この方は元のままの身体 (からだ) 持ちてゐるのざから」ですが、この方=国常立大神のことです。元のままの身体=龍体です。そして「いざとなれば何んなことでもして見せるぞ」と続きます。現代語的に表すと「国常立大神は、元の龍体のままなので、いざとなれば、如何なる事でもして見せるぞ」となります。さて、この文章をどの様に読み取るかですが、「大騒動 (天変地異) 」がもたらされると読むのが正解だと投稿者:加藤は思います。それを踏まえて、書き出しの部分「さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ」を読み解くと、この用意 (準備) を「逃げ場を用意 (準備) する」とか「避難場所を用意 (準備) する」と思う方はいないと思います。行うことは明確で「身魂くもりてゐるから、それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、このことよく心得て下されよ、神せけるぞ」という最後の文章につながるのだと投稿者:加藤は思います。「身魂磨き」と「改心」を急げと伝えているのです。そして神は、一人でも多くの御霊を救いたいとの思いで、神アセルぞと締め括っているのだと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。