第二巻 下 (四百) つ巻 第二十四帖 (R6.6.11)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第二十四帖になります。短いです、読んで下さい。
第二巻 下 (四百) つ巻
第二十四帖 (六六)
一が十にと申してありたが、一が百に、一が千に、一が万になるときいよいよ近づいたぞ。立秋ちたらスクリと厳しきことになるから、神の申すこと一分一厘ちがはんぞ。改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、草の葉一枚でも神のものぞ。七月の三十日、ひつくのか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 53頁ー54頁 より)
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本帖の書き出し「一が十にと申してありたが、一が百に、一が千に、一が万になるときいよいよ近づいたぞ」ですが、この数は「因縁の身魂」の数だと解釈してよいと投稿者:加藤は思います。身魂が磨かれ、神人一体となった者の数が、一から始まり、十、百、千、万となって来たと読み取れます。
今回の帖で大切な部分と思われるのは「立秋ちたらスクリと厳しきことになるから」の部分と「改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、草の葉一枚でも神のものぞ」だと投稿者:加藤は読んでいます。先ず「立秋ちたらスクリと厳しきことになるから」ですが、前回 (R6.6.10) にも出てきた「立秋」です。覚えて置いて下さいと投稿者:加藤は投稿文に書きました。今回も「立秋」を覚えて置いて下さい。さて、次の「改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、草の葉一枚でも神のものぞ」の部分ですが、言葉としては難しい内容ではありません。しかし、これを日月神示の神様は臣民に「改心」が第一「身魂磨け」と促し、その「改心」の方法として示しているのですが、この内容を実践するとなると拷問ですかと問いたくなることでしょう。すぐに全てを行うと、確かに拷問です。しかし順番にコツコツと行って行くと、気付いた時には出来ているものだと投稿者:加藤は思います。この「改心」の実践は気付いたら出来ていた。というのが理想だと投稿者:加藤は思います。日月神示の文章解釈では無くなりますが、投稿者:加藤の経験談を書いて置きます。投稿者:加藤が日月神示に出会い、一番初めに実践した事は「共食いを止める」です。具体的には動物性のものを口 (体内) に入れないです。これは、さほど辛くなかったです。今となっては、肉など喰ったら「吐く!」そして「絶対に二、三日は体調が悪くなる」と思う (食べてないので分からないが) 。次に変化があったのは、日月神示的な生活 (人生) を始めた人が口を揃えて言う事ですが、カルマの大清算により、とんでもない苦労が押寄せるです。投稿者:加藤も御多分にもれず、何度も首を吊ろうと思いました (十年以上の間) 、しかし、家族を残し、自分だけ命を断つ事は「我れ善し」の何物でも無いと、自分に鞭を打ち、目の前に存在する、富士の山よりも高く見える問題に向き合うしかなかったです。今でも少々しんどいですが、首を吊ろうとは思いません。この辛かった十年、問題解決以外の時に、何を考えていたかというと、掃除です。辛く忙しかったので、まだ終了してませんが、自分の身の周りの掃除がしたくてしょうがなかったです。約十年間、掃除の実践をしないで、考えてました。アレを捨てて、コレを移動して等々。そして出た答えが「何も要らない」です。当然な答えです。十年間、荷物は山積みで片付かず、使用も出来ない、十年も使わなかった物が、今になって必要なわけが無いです。極論ですが、雨風が凌げて、餌が喰えて、着替えが出来れば「何も要らない」に行き着きます。今の時代、携帯電話とコンピュータは必要かも知れませんが、電気が止まれば、ただのゴミです。皆さまも、生活に必要な「最低限」は何かを、一度考えてみて下さい。武漢肺炎による、世界的なパンデミック以降に投稿者:加藤が住んでいる家の近くは、車で生活している人が増えました。某道の駅の駐車場に、完全に棲みついている人が何十人もいます。彼らも多分ですが「何も要らない」のでしょう。日本人の種を守るための、子孫繁栄。子育て真っ最中の人々には無理な事だとは思いますが、何かの機会に人間が生きるために、何が最低限必要な物なのかを考えてみる事は、悪い事では無いと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。