第二巻 下 (四百) つ巻 第二十三帖 (R6.6.10)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第二十三帖になります。読んで下さい。
第二巻 下 (四百) つ巻
第二十三帖 (六五)
世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神神様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは九 (こ) の神でないと分らんぞ。この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから、神の国の臣民は神の申す様にして、天地を掃除しててんし様に奉らなならん御役ぞ。江戸に神早う祀りて呉れよ、仕組通りにさすのであるから、臣民我を去りて呉れよ。この方祀るのは天 (あめ) のひつくの家ぞ、祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、臣民の性来 (しようらい) によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、神急けるぞ。七月の三十日、ひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 53頁 より)
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今回の帖は、内容が盛りだくさんの帖になりますので、じっくりと見ていきましょう。地球上の至る所に終末論 (終末予言) が存在することは、皆さまもご存じのことと思います。有名な物は、新約聖書の「ヨハネの黙示録」かと思いますが、仏教にも終末論 (終末予言) は存在しますし、旧約聖書を元にした、ユダヤ教やイスラム教にも終末論 (終末予言) は存在しています。又、世界に何人存在しているか判らない程の人数である「予言者」も揃って終末論 (終末予言) を唱えています。それが「世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神神様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど」の部分で説明されています。余談になりますが、ヨハネの黙示録に記されている、世の終わりは、令和六年六月十日現在、既に終了していると投稿者:加藤は思っています。昨年から西洋の至る所で、獣の吠える様な、もしくは管楽器が鳴り響く様な音が確認されています。これは既に天使達が吹き鳴らすラッパが吹かれた事を意味していると投稿者:加藤は考えます。今回の帖で、大切になる話は「最後のことは九 (こ) の神でないと分らんぞ。この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから」の部分です。最後の最後、仕上げの事は、「この神」「この方」でないと、何が起こるか分からないといっている、この神、この方とは、国常立大神のことで、「天の大神様」とは、天之御中主神 (創造神、根元神) のことだと投稿者:加藤は理解しています。解りやすくいうと、国常立大神様が、総大将となり、三千世界の大建替え大洗濯をし、キレイに掃除がし終わった天地を、天之御中主様に見せなければならない。ということだと投稿者:加藤は思います。
「江戸に神早う祀りて呉れよ、仕組通りにさすのであるから、臣民我を去りて呉れよ」の文章は、岡本天明達に向けた神示ですので、この投稿では詳しく書きませんが「江戸の仕組」とは「奥山、中山、一の宮」の創建を指示している神示で、江戸の仕組は八月八日の立秋から開始されています。本帖の「臣民我を去りて呉れよ」の部分も、岡本天明達に向けた言葉だと投稿者:加藤は思います。天明達が「因縁の身魂」だとしても、神からの一方的な指示により、自腹を切って、戦時中に神業奉仕を続けるのだから、愚痴の一ッも出るでしょう。それを詮索したり、疑ったりせず、素直に神のいうようにしろと告ている部分です。
今回は少々、長くなりましたが、最後に「祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく」の部分。日月神示で「立秋」とは何か大きな分岐点になる日なのだと思いますので、覚えて置いて下さい。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。