第二巻 下 (四百) つ巻 第二十一帖 (R6.6.5)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第二十一帖になります。記号だらけですが、読んで下さい。

第二巻 下 (四百) つ巻

第二十一帖 (六三)

 •ばかりでもならぬ、〇ばかりでもならぬ。⦿がまことの神の元の国の姿ぞ。元の神の国の臣民は⦿でありたが、•が神国に残り〇が外国で栄へて、どちらも片輪となったのぞ。•もかたわ〇もかたわ、•と〇と合はせてまことの⦿ (かみ) の世に致すぞ。今の戦は•と〇との戦ぞ、神の最後の仕組と申すのは〇に•入れることぞ。〇も五ぞ•も五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ。一厘の仕組とは〇に神の国の•を入れることぞ、よく心にたたみておいて呉れよ。神は十柱五十九柱のからだ待ちてゐるぞ。五十と九柱のミタマの神神様お待ちかねであるから、早うまゐりて呉れよ。今度の御役大層であるが、末代残る結構な御役であるぞ。七月の二十四日、一二のか三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 51頁−52頁 より)

ひふみ神示〔新版〕 (Ten books) [ 岡本天明 ]

価格:8800円
(2024/6/4 13:02時点)
感想(12件)

 今回の帖は、記号だらけの文章に見えますが、当ブログをご愛顧下さる皆さまには、内容的に難しい文章では無いと投稿者:加藤は思います。「どちらも片輪となったのぞ。•もかたわ〇もかたわ」と書かれています。「人権無視をするな!」と叫び、叫んでいる先の人権は完全に無視している事に気が付かない人々達は、めくじらを立てて「差別だ!」と叫び出しそうな文章です。投稿者:加藤の個人的な意見ですが、言葉を変えても、発言する側が差別的に使用する言葉は差別です。しかし現在、差別用語とされている言葉は、発言する側に差別意識が無ければ、別段に差別とは思いません (あくまで個人の意見です) 。鶴田浩二の歌の一節「馬鹿と阿呆の絡み合い」としか言い様が無いです。人に対して「差別だ!」とか「人権無視だ!」とかを叫ぶ人々には「はいはい、大変だね、御苦労さん」としか言い様が無いと投稿者:加藤は思います。関わりたくも無いですし。

 さて本帖の解釈ですが「どちらも片輪となったのぞ。•もかたわ〇もかたわ」と「〇も五ぞ•も五ぞ」の部分が大事な所でしょう。五と五で十にしなければ駄目ですよってことだと投稿者:加藤は思います。日月神示では、身魂磨きに対して、身 (〇) だけ磨いても駄目、魂 (•) だけ磨いても駄目、日月神示の「神人一体」の教えでも、神だけでも駄目、人だけでも駄目ということですよね。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。