第二巻 下 (四百) つ巻 第十九巻 (R6.6.3)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第十九帖になります。短い文章ですので、サクッと読んで下さい。

第二巻 下 (四百) つ巻

第十九帖 (六一)

 苦しくなりたら何時でもござれ、その場で楽にしてやるぞ、神に従へば楽になって逆らへば苦しむのぞ。生命も金も一旦天地へ引き上げ仕まうも知れんから、さうならんやうに心の洗濯第一ぞと申して、くどう気附けてゐることまだ分らんか。七月の二十三日、一二のか三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 50頁 より)

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感想(12件)

 今回の帖は、日本語として難しいことは書かれていませんが、非常に誤解を招きかねない言葉の書き出しになっています。「苦しくなりたら何時でもござれ、その場で楽にしてやるぞ」ここです。日月の神様の言葉を疑うわけでは無いですが、日月の神様は、こんなに優しくはないです。苦しくなったら、何時でも楽にしてあげますヨ!って、アリエナイ話だと投稿者:加藤は思います。神と臣民は、親と子の関係と同じです。子が何かの壁に突き当たり、苦しく涙していたら、親はどうするでしょうか?親がその子の苦しみを変わってあげることは出来ません。しかし、無条件の愛で包みこむ抱擁で応えるでしょう。そして子は、一人ではないと気付き、親の愛に包まれた、新たな勇気を奮い立たせると思います。苦しんでいる子を、抱きしめている親も辛く悲しい気持ちだと思いますが、同時に親は日に々々育つ子を誇らしく感じることだと投稿者:加藤は思います。

 「神に従へば楽になって逆らへば苦しむのぞ」とは、神に逆らう者 (体主霊従) 、「我れ善し」は苦しむので、身魂磨きをし霊主体従の臣民に早く戻り、楽になれという意味だと投稿者:加藤は思います。ですので、本帖の後半に「さうならんやうに心の洗濯第一ぞと申して、くどう気附けてゐることまだ分らんか」とも書いてあるのです。「生命も金も一旦天地へ引き上げ仕まうも知れんから」この一節の解釈もしておくと、大峠により、ミロクの世が来る前の世界観を言葉にしていると投稿者:加藤は考えます、臣民の肉体は一度死をむかえ、その後に半霊半物質の者となる事が、遠回しに書かれた文章だと投稿者:加藤は考えています。肉体も金銭もミロクの世では必要無いのです。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。