第二巻 下 (四百) つ巻 第十八帖 (R6.6.2)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第十八帖になります。短い文章ですが、少し難しい文章かと思います。先ずは読んでみましょう。

第二巻 下 (四百) つ巻

第十八帖 (六〇)

 この道は神の道であり人の道であるぞ。この道の役員は神が命ずることもあるが、おのれが御用すれば、自然と役員となるのぞ、たれかれの別ないぞ、世界中の臣民みな信者ざから、臣民が人間ごころでは見当とれんのも無理無いなれど、この事よく腹に入れて置いてくれよ。神の土出るぞ、早く取りて用意して皆に分けてやれよ。神に心向ければ、いくらでも神徳与へて何事も楽にしてやるぞ。七月の二十三日、ひつ九のか三のふで。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 50頁 より)

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 本帖は、少々ですが説明が必要かと思いますので、投稿者:加藤なりの解釈をしていきたいと思います。「この道は神の道であり人の道であるぞ」書き出しの言葉です、この道とは、岩戸開きにより、大峠、大建替えをへてミロクの世に至る道だという意味だと投稿者:加藤は思います。「この道の役員は神が命ずることもあるが」ですが、これはいうまでもなく、神が命じた役員、岡本天明のことです。

 「臣民が人間ごころでは見当とれんのも無理無いなれど」と書かれています。この意味は、たんなる人間のままでは、日月神示を理解することは無理といっていると投稿者:加藤は思います。神と一体 (神心) になった人間でなければ理解に向かわないという意味でしょう。人間界の常識では理解が進まないのだと投稿者:加藤は思います。何度か当ブログで書いて来たと思いますが、「常識」とは、どれだけ「非常識」なのでしょうか。人間が勝手に決めた「常識」その「常識」に縛られた人生。投稿者:加藤からすると「アホらしい」の一言になってしまいます。日月神示には、逆説的な、ある意味で禅問答のようなことが多く書かれています。これは「常識」を打ち壊すために必要な「禅問答」だと投稿者:加藤は思いますが、ここで一ッ伝えなければならないことは、頭で考えると、常識という邪魔者が顔を出すということです。ですので日月神示では、肚で理解しろといっているのだと投稿者:加藤は考えます。マァ、身魂を磨き、神心に帰ることが最優先となるのですが。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。