第二巻 下 (四百) つ巻 第十一帖 (R6.5.21)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第十一帖になります。短い文章で、難しい内容ではないと思います、読んでください。
第二巻 下 (四百) つ巻
第十一帖 (五三)
けものさへ神のみ旨に息せるを神を罵る民のさわなる。草木さへ神の心に従ってゐるではないか、神のむねにそれぞれに生きてゐるでないか、あの姿に早う返りて呉れよ、青人草と申すのは草木の心の民のことぞ。道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人がさして呉れるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ。七月の十八日、ひつくのか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 44頁 より)
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今回の帖は、難しい内容ではないと思います。大事な部分は「けものさへ神のみ旨に息せるを神を罵る民のさわなる」と「草木さへ神の心に従ってゐるではないか」から「あの姿に早う返りて呉れよ」、そして本帖の最後に書かれている「道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人がさして呉れるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ」の部分だと投稿者:加藤は思います。
前半の部分の二ッ目「草木さへ神の心に従ってゐるではないか」から考察すると、植物でも神の心に従っているのに、民は何をしているのかという意味に解釈できます。さらに「けものさへ神のみ旨に息せる」と書いてありますので、今の民は「獣」以下の性来に堕落していることを注意している文章になると投稿者:加藤は考えます。「神を罵る民のさわなる」の部分が理解し辛いと思いますが、「さわなる」とは「邪魔になる、害になる」という意味ですので、けものでも神の腹上で呼吸して生きるが、神を罵る民は邪魔だと厳しい言葉の書き出しなのです。又、本帖では「民」と単体の漢字で人々を表していますが、これは日月神示を知らない人も含めた人民という意味で「民」と表しているのだと投稿者:加藤は思います。当ブログをご愛顧して下さる皆さまには「シツコイ!」と怒られそうですが、大切なことなので、もう一度 (今後も何度でも) 書きますが「けもの、獣」とは「体主霊従、われよし」の民を指す表現になります。
後半の「道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人がさして呉れるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ」については、読んだまんまなんですが、日月神示の信仰は「自分の力で」でというところが大切です。会社や宗教などでは、他力の要素が強いものだと投稿者:加藤は思います。宗教などは特に分かりやすく、教祖の言う事を聞きさえすれば「アナタハ、スクワレル」訳が無いでしょ?
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。