第二巻 下 (四百) つ巻 第八帖 (R6.5.15)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第八帖になります。短い文章ですし、難しい文章ではありません。読んでください。

第二巻 下 (四百) つ巻

第八帖 (五〇)

 この神示 (ふで) 皆に読みきかして呉れよ。一人も臣民居らぬ時でも声出して読んで呉れよ、まごころの声で読んで呉れよ、臣民ばかりに聞かすのでないぞ、神々さまにも聞かすのざから、その積りで力ある誠の声で読んで呉れよ。七月の十七日、ひつ九のか三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 42頁 より)

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感想(12件)

 今回の帖は、短い文章ですが、日月神示を読むうえで、大切なことが書かれていると投稿者:加藤は考えます。日月神示を読むときは声に出して読みなさいと書いてあります。声とは誠の声とも書かれています。なかなかに説明が難しい言い回しですが、要約すれば「音読で、力強く誠の声で」となりますが、要約しても難しいですね、しかし、日本人であるならば、漢字を見て、意味は掴めると思いますので、難しい文章では無いと投稿者:加藤は信じます。臣民ばかり (読む本人も含む) ではなく、神々さまにも聞かす (音読の理由だと思われる) と書かれています。この神々さまとはを少し投稿者:加藤なりに解釈すると、当然「世の元の神」からの神々もなのですが、イザナギが「独り神」となって産んだ「途中からの神々」を含み、もっというならば「悪神」も含むと投稿者:加藤は考えます。何故ならば、現世 (うつしよ) の臣民が誠の力で日月神示を音読することにより、その音 (言霊) が霊界に響き渡り「悪神」にも理解を促進することにつながると考えられるからです。黙読でも読まないよりは良いと思いますが、「誠の響」で音読する方が、神の御用の一端を務めることになると投稿者:加藤は思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。