第二巻 下 (四百) つ巻 第七帖 (R6.5.14)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第七帖になります。読んでください。
第二巻 下 (四百) つ巻
第七帖 (四九)
この神示 (ふで) 読んでうれしかったら、人に知らしてやれよ、しかし無理には引張って呉れるなよ。この神は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ、それで教会のやうなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する神ざから、小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。一二三祝詞 (ひふみのりと) するときは、神の息に合はして宣 (の) れよ、神の息に合はすのは三五七 • 三五七に切って宣れよ。しまひだけ節 (ふし) 長くよめよ、それを三たびよみて宣りあげよ。天津祝詞の神ともこの方申すぞ。七月十九日、一二⦿。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 41頁ー42頁 より)
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本帖は、役員達に神示を他の人々に伝えるときに注意しなければならないことが前半に書かれていて、後半には一二三祝詞の宣り方が書かれています。
前半で大切な部分は「しかし無理には引張って呉れるなよ。この神は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ、それで教会のやうなことするなと申すのぞ」だと投稿者:加藤は思います。日月神示を読んで、これは良い物なので、あの人やこの人に教えてあげようと思っても、受け取る側の人に、日月神示を受け入れる準備 (受け入れる気) が無ければ、日月神示の内容を、伝えた方と、伝えられた方と、双方にとって日月神示自体が、障害的な存在になってしまうので、無理に引張ることは駄目ですと伝えていると投稿者:加藤は思います。現世 (うつしよ) の世界で、良く起こる事象ですが「良かれと思った事が、裏目に出る」ことなどは多々あることです。皆様も一度は経験がある事だと思います。仏蘭西の諺で「On ne fait pas boire un âne qui n’a pas soif.」というのがあります、意味は「喉の渇いていないロバに水は飲ませられない」という意味ですが、無理な事を強引に行うと、家畜のロバにも、ロバの飼い主にも、利益にならないということです。
さて、後半の一二三祝詞の宣り方ですが、一二三祝詞を何らかの方法で聞いた事がある方は、この神示を読んで、簡単に理解できると思います。しかし、聞いたことが無い方には、何が書いてあるのか理解し難いと投稿者:加藤は思います。今は便利な世の中で (良いか悪いかは、難しいところなのですが) 、当ブログを見て下さっている皆さまは、当然ですがネットに接続できているはずです。YouTube の検索で「一二三祝詞」と検索してみて下さい。一二三祝詞を宣っている画像と音声が沢山あると思います。「百聞は一見にしかず」ですので、一度 YouTube で、一二三祝詞を聞くと、後半の神示の意味が理解できると思います。また YouTube では、一二三祝詞を音楽に乗せて、宣り方も忠実に唄にしている物もありますので、唄にして覚えてしまえば「それを三たびよみて宣りあげよ」と神示に書かれている事も、簡単に日課にできると投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。