第一巻 上つ巻 第三十八帖 (R6.4.24)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一巻 上つ巻 第三十八帖になります。

第一巻 上つ巻

第三十八帖 (三八)

 残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、死んでからまた生き返るぞ、三分の一の臣民になるぞ、これからがいよいよの時ざぞ。日本の臣民同士が食い合ひするぞ、かなわんと云うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ。神にシッカリと縋 (すが) りて居らんと何も分らんことになるから、早く神に縋りて居れよ、神ほど結構なものはないぞ。神に善い神と悪い神とあるぞ、雨の日は雨、風の日は風といふこと分らんか、それが天地の心ぞ、天地の心を早う悟りて下されよ。いやならいやで外に代りの身魂があるから神は頼まんぞ、いやならやめて呉れよ。無理に頼まんぞ。神のすること一つも間違ひないのぞ、よく知らせを読んで下されよ、ひつきのか三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 31頁ー32頁 より)

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 今回の帖は、大峠はこの様になりますよっていう預言 (予言ではありません) を伝える神示です。「残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、死んでからまた生き返るぞ、三分の一の臣民になるぞ」が書き出しの帖です。当ブログをご愛顧下さる方には難しくない文章だと思います。先ず「臣民」と書いていることから、日本人の魂をもった人間に向けた文章だと判ります。「死んでからまた生き返る」とは、半霊半物質の者になるという意味です。「三分の一の臣民になるぞ」は、読んだままの意味で、日本人の70%は、魂ごと灰になり、御霊の磨けた30%の日本人しか残れない、ということでしょう(他の部分の神示には3%とも書かれていますが…) 。「日本の臣民同士が食い合ひするぞ、かなわんと云うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ」と続きます。この部分に関しては、日月神示的な解釈が要求される文章になると投稿者:加藤は思います。前文の「日本人同士が食い合ひ」は、食料不足 (飢餓) が来ることの預言 (くどいですが、予言ではありません) です。次の「外国へ逃げて行く者」の部分ですが、日本国を捨てて、外国に救いを求める者と、そうではない者、この二極化を日月神示では、神の臣民と獣とに分けて表現します。日月神示から外れる話になりますが、キリスト教の聖典にも「獣の刻印」と表されている文章があります。これはイシヤの手に落ちた人間に刻印されるものです。この「獣の刻印」は、探求小屋で探求したいと思っています。

 後半の「いやならいやで外に代りの身魂があるから神は頼まんぞ」と書かれています。この部分は重要で、身魂磨きと、神の御用は、継続的なもので、勇む気持ちを一時も無くしてはならないと解釈出来ます。さぼりたい気持ちを持つならば、代わりの人材を採用するだけだと伝える文章だと投稿者:加藤は思います。日月神示とは国常立尊 (艮の金神) が、岡本天明に自動書記で降ろしたものです。余談の話になりますが、艮の金神とは、「非常に厳しい神」で、他の神々に疎まれ、艮 (東北) に押し込められ「煎った豆が目を出すまで、出て来るな」と云う封印までされた神です。節分の「豆まき」を知っていると思いますが、「鬼は外、福は内」と東北に向けて、煎った大豆を投げながら、唱える行事です。しかし、この「鬼」とは、艮の金神のことを、鬼と呼んでいますので、本来は「鬼 (艮の金神) は内、福も内」なのです。ちなみに、正月に食する「雑煮」ですが、「臓煮」と書くのが正しく、神々たちが、厳しい神 (国常立尊) を排除し、厳しい神 (国常立尊) の内臓を、艮に封印した祝いとして、神々が煮て食したことが由来です。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。