第一巻 上つ巻 第二十七帖 (R6.4.7)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一巻 上つ巻 第二十七帖になります。本帖に関しては、取り敢えずサラッと読んで置いて下さい。

第一巻 上つ巻

第二十七帖 (二七)

 何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。元の仕組は富士 (二二) ぞ、次の仕組はウシトラ三十里四里、次の仕組の山に行きて開いて呉れよ、今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて神祀りて開いて呉れよ、細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さして親から御礼申すぞ。行けば何もかも善くなる様に、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測った様に行くぞ。天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ、目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。秋立ちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたらたづねてござれ、我 (が) を張ってゐると、いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。この神示も身魂により何んなにでも、とれるやうに書いておくから、取り違ひせんやうにして呉れ、三柱と七柱揃うたら山に行けよ。七月一日、ひつくのか三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 25頁 より)

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感想(12件)

 今回の帖は、文章の内容を解釈するのではなく、この文章の目的を解釈して行きます。どういう事かというと、日月神示を研究している方々が、そうであろうと口を揃えて言う事でありますが、本帖は我々臣民に向けた文章では無いという事です。単語々々を拾えば、日月神示ではお馴染みの単語が多くみられますが、本帖は岡本天明と岡本天明の同士達に向けた「神業」の方法が書かれた文章だということです。ですので、解ったつもりで、我々一般の臣民が、内容の解釈をすることは危険ということにもなります。「元の仕組は富士 (二二) ぞ、次の仕組はウシトラ三十里四里、次の仕組の山に行きて開いて呉れよ」「行きて神祀りて開いて呉れよ」と書かれています。ここでも解るように、ここの御用 (神業) は、我々臣民が行う御用では無いと投稿者:加藤も思います。ですので、冒頭でも書きましたが、本帖に関しては、サラッと読んで置いて下さい。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。