第一巻 上つ巻 第二十三帖 (R6.4.1)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一巻 上つ巻 第二十三帖になります。読んで下さい。
第一巻 上つ巻
第二十三帖 (二三)
神なぞ何うでもよいから、早く楽にして呉れと言ふ人沢山あるが、こんな人は、今度はみな灰にして、なくして仕まふから、その覚悟して居れよ。六月二十八日、ひつくのか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 22頁 より)
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前回に続き、今回の帖も非常に短い文章になります。前回の日月神示 第一巻 上つ巻 第二十二帖の解釈でも書きましたが、本帖は日月神示 第一巻 上つ巻 第一帖に書かれている「いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか」を具体的に「こんな人は、今度はみな灰にして、なくして仕まふから、その覚悟して居れよ」と、極めて厳しい警告文となる帖だと投稿者:加藤は考えます。
本帖前半の「神なぞ何うでもよいから、早く楽にして呉れと言ふ人沢山あるが」ですが、解りやすい言葉で書き直すならば「神や他人の事などはどうでも良いから、早く自分の事は楽にしてくれ」となるでしょう。これは身魂の身を楽にしてくれといっている自己中心的な考え方で、日月神示的な言い方をするならば、我れ善し (体主霊従) 的な考え方です。ちなみに、本帖は日月神示 第一巻 上つ巻 第一帖に書かれている「いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか」の文章の前は「世界中の洗濯ざから」とも書かれています。嬉し嬉しのミロクの世を迎える前の大峠、大建替え大洗濯による岩戸開きは、我々臣民にとっては大変な苦労がともなうのでしょう。しかし、日月神示の神は、大難も小難にする事が出来るといっていますので、大難を小難にするためには、身魂磨きが一番大事な事なのだと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。