第一巻 上つ巻 第二十一帖 (R6.3.27)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一巻 上つ巻 第二十一帖になります。そこそこの長文になりますが、頑張って読んで下さい。
第一巻 上つ巻
第二十一帖 (二一)
世の元の大神 (かみ) の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ、この仕組分りてはならず分らねばならず、なかなかに六ヶ敷仕組であるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ぎりぎりになりたら神の元の神の神力出して岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、神は心配ないなれど、ついて来れる臣民少ないから、早う掃除して呉れと申すのぞ、掃除すれば何事も、ハッキリと映りて楽なことになるから、早う神の申すやうして呉れよ。今度はとことはに変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざ。洗濯できた臣民から手柄立てさしてうれしうれしの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、一切ごもく捨てて、早う神の申すこと聞いて呉れよ。因縁の身魂は何うしても改心せねばならんのざから、神の帳面間違ひないから、神の申す通りに、分らんことも神の申す通りに従ひて呉れよ。初めつらいなれどだんだん分りて来るから、よく言うこと聞いて呉れよ、外国から攻めて来て日本の国丸つぶれといふところで、元の神の神力出して世を建てるから、臣民の心 (こころ) も同じぞ、江戸も昔しのやうになるぞ、神の身体から息 (いき) 出来ぬ様にしてゐるが、今に元のままにせなならんことになるぞ。富士から三十里四里離れた所へ祀りて呉れよ、富士にも祀りて呉れよ、富士はいよいよ動くから、それが済むまでは、三十里離れた所へ、仮に祀りて置いて呉れよ。富士は神の山ざ、いつ火を噴くか分らんぞ、神は噴 (ふ) かん積りでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りて呉れよ、神はかまはねど、臣民の肉体大切なから、肉体もなくてはならんから、さうして祀りて呉れ。まつりまつり結構、六月の二十八日、ひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 20頁ー21頁 より)
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本帖は、ザックリといって、四ッの項目というか事柄が書かれていると投稿者:加藤は考えます。今更ですが、日月神示は八通りに読めると伝えられていてますので、単純に三十二通りの解釈が出来る事になります。過去の投稿をお読み下さっている方はご存知と思いますが、帖の内容で、項目が二ッであれ四ッであれ、投稿者:加藤が一ッの項目しか解釈していない事が多いです。理由は多々あるのですが、投稿者:加藤の解釈が固定概念化を産み出したく無いというのが一番大きな理由になります。ネットや書籍で、色々な解釈が世に出されています。ですので、日月神示に興味を惹かれた方は、色々な方の解釈も吸収していただきたいと投稿者:加藤は思います。日月神示は神と個人が、男と女の恋愛に似ていると、投稿者:加藤は思います。文章の解釈に疑いを持ち出したらキリが無い状態です。ですので皆さまは、恋愛を楽しむ様に、自分がこれだと思える解釈を導き出していただければ、それが正しいと投稿者:加藤は思います。
さて、四項目ですね。一ッ目「元の神」、二ッ目「建替えと大峠の様相」、三ッ目「身魂磨き」、最後の四ッ目は、前帖で書いた「富士への祀り」です。今回の投稿では、一ッ目の「世の元の大神 (かみ) の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ、この仕組分りてはならず分らねばならず、なかなかに六ヶ敷仕組であるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ」を解釈して行きます。
元の神の仕組ですから、元の神は分かってますよね。んじゃ仕組が分からない神は誰ですか?ですよネッ。これは一度目の岩戸が閉じた以降に生まれた神々です。一度目の岩戸閉めとは、伊邪那岐尊と伊邪那美命の時の話です。元の神々から世をつくれとの命を受けて、夫婦神として世に出た二柱の神が、男神一柱になって、一方的に新たな神々を産み出しました、ここが分かれ目です。しかし、「この仕組分りてはならず分らねばならず」と続きますので、我々臣民が分かるためには、身魂磨きが重要な事柄になると、文章は続いて行くのだと投稿者:加藤は考えます。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。