第一巻 上つ巻 第二十帖 (R6.3.26)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一巻 上つ巻 第二十帖になります。先ずは読んで下さい。

第一巻 上つ巻

第二十帖 (二十)

 神がこの世にあるならば、こんな乱れた世にはせぬ筈ぞと申す者沢山あるが、神には人のいふ善も悪もないものぞ。よく心に考へて見よ、何もかも分りて来るぞ。表の裏は裏、裏の表は表ぞと申してあろうが、一枚の紙にも裏表、ちと誤まれば分らんことになるぞ、神心になれば何もかもハッキリ映りて来るのざ、そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐルガ、理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。言拳げせぬ国とはその事ぞ、理屈は外国のやり方、神の臣民言拳げずに、理屈なくして何もかも分かるぞ、それが神の真の民ぞ。足許から鳥が立つぞ、十理 (トリ) たちてあわてても何んにもならんぞ、用意なされよ、上下にグレンと引繰り返るぞ。上の者下に、落ちぶれた民上になるぞ、岩戸開けるぞ、夜明近づいたから、早う身魂のせんたくして呉れよ、加実の申すこと千に一つもちがはんぞ。六月二十七日、ひつくのか三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 19頁ー20頁 より)

ひふみ神示〔新版〕 (Ten books) [ 岡本天明 ]

価格:8800円
(2024/3/26 14:38時点)
感想(12件)

 さて、投稿者:加藤が当ブログでよく「悪の御用」という言葉を使う事があります。皆さまは、「悪の御用」って何だよ。と思っていたかと思いますが、本帖の解釈を読んでいただければ、解るかと思いますので、行ってみましょう。

 「神がこの世にあるならば、こんな乱れた世にはせぬ筈ぞと申す者沢山あるが」という書き出しの帖です。降ろされたのが、昭和十九年六月二十七日です。その時代の歴史を振り返ってみましょう。時は大東亜戦争の真最中、日本国は負け戦で押されっ放し。六月十九日から六月二十日、マリアナ沖海戦にて、日本国海軍が大敗、七月には、サイパン島守備隊が玉砕。八月には、グアム島にて日本国軍が全滅。ここに日本の絶対国防圏が破綻する。この日本国の絶対国防圏が破綻した事で、米軍はマリアナ諸島から日本本土へB-29爆撃機を飛ばす事が可能となる。この事をもって、日本国は全国を焼け野原にされながら、敗戦 (自分で書いて置いてなんなんですが、投稿者:加藤は敗戦という言葉では無いと考えています) へと向かうのである。神国日本と考えていた臣民にしてみれば「神がこの世にあるならば、こんな乱れた世にはせぬ筈ぞと申す者沢山あるが」そう考えておかしくないでしょう。

 しかし、本帖では次のように言葉が続きます。「神には人のいふ善も悪もないものぞ」「表の裏は裏、裏の表は表ぞと申してあろうが」「一枚の紙にも裏表、ちと誤まれば分らんことになるぞ、神心になれば何もかもハッキリ映りて来るのざ」と。平和という善、戦争という悪、この裏腹の関係は絶対に分離できるものではなく、絶対善も絶対悪も存在しえないと投稿者:加藤は考えます。神のはたらきとは、善の御用と悪の御用が、分離される事なく存在するのです。

 そして、「神の世にして見せるぞ」という言葉に続くのです。その絶対的な関係すら無くなるミロクの世に、我々臣民一人々々が、神人一体となり向かわなければならないのだと投稿者:加藤は思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。