第一巻 上つ巻 第十五帖 (R6.3.18)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一巻 上つ巻 第十五帖になります。今回は、前回の投稿で予告した内容の解釈になります。お読み下さい。
第一巻 上つ巻
第十五帖 (一五)
今度は末代動かぬ世にするのざから、今までの様な宗教や教への集団 (つどひ) にしてはならんぞ、人を集めるばかりが能ではないぞ、人も集めねばならず、六ヶ敷い道 (おしへ) ぞ。縁ある人は早く集めて呉れよ、縁なき人いくら集めても何もならんぞ、縁ある人を見分けて呉れよ。顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ、顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ。やりかけた戦ぞ、とことんまで行かねば納まらん。臣民一度は無くなるところまでになるぞ、今のうちにこの神示よく読んでゐて呉れよ。九月になったら用意して呉れ呉れよ。六月の二十四日、ひつくのか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 16頁 より)
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上つ巻 第十四帖 (前回投稿) と、上つ巻 第十三帖 (前々回投稿) の部分を、先ずもう一度見てみたい。十三帖の中に「この身魂はいづれも落ちぶれてゐるから」とあり、十四帖の中に「魂は身ぞ外国は身ばかりの所あり魂ばかりの所あり神は身魂の別ないぞ」とあり、今回の十五帖には「顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ、顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ」とあります。この三ッの帖の三ッの神示は纏めて解釈しなければならない所だと投稿者:加藤は思います。それを踏まえて、本帖の説明に入ります。
先ず文章の頭に、宗教や集団は駄目と書かれています。出口王仁三郎も「ミロクの世に宗教があってどないする。宗教というものがないのが、ほんま素晴らしい世の中になるんや。」という言葉を残しています。説明の必要は無いと思います。宗教団体の様な物が存在している内は、ミロクの世とは言えないのです。全てが救済され、弥栄の嬉し嬉しの世の中に、何故宗教が必要なのでしょうか。全くの無意味です。
次の文章では、人を集める事が目的になっては駄目だと、言っている内容だと思います。縁のある人を集めなければならないので、難しい教え (六ヶ敷い道) だと降ろされているのだと思います。
さて、今回の本題ですが、自分さえ良ければ良い (我良し) の考えの人に付いて投稿者:加藤の解釈を書き綴ってみたいと思います。外国人の全ての魂が悪だとは思いません。魂の成長を望む人もいるでしょう。日月神示に魂ごと灰にしなければならない魂があると出てきます。皆さまは、電車に乗る時に、日本人であるならば、きちんと整列して、列車が入線して来るのを待つ事でしょう。しかし、列車が入線して来るギリギリに、いきなり列の先頭へ回り込み、老人や怪我人などもお構いなく、我先にと乗車する人を見た事があると思います。自分さえ良ければ良いという行動です。注意する人は皆無です。では何故注意しないのでしょうか。注意する対象の人間が異常な人間なので、注意したくないのです。異常な人間と接点を持って、何らかの被害が及ぶ事を避けているのです。異常者と接触したい人間はいませんからね。又、武漢肺炎が落ち着き、海外からの観光客が増えた日本国ですが、ボチボチ海外からの観光客を差別はしませんが、区別する必要があると投稿者:加藤は考えます。観光客が落とすお金よりも、被害額の方が多いのでは、大きな問題です。ホテルの部屋の備品、ドライヤーなどを持ち帰ってしまう観光客などは、まだ良い方 (良くは無いが) で、聞く所によると、家具 (机や椅子、ソファー、テーブル) などが持ち帰られてしまうそうです。どうやって持って行くのですかネェ〜〜異常です。世界遺産に、訳の分からない液体をかけるとか、樹木に刃物で、何かしら彫り込むとか、投稿者:加藤が区別と表現した理由は、その様な窃盗行為や野蛮行為を行う人種 (国民) は限られているので、日本には入国させない方が良いと思うのです。何故ならば、彼らは、それが犯罪行為だと理解していない (理解出来ない) 人種だから困った問題になるのだと…それよりも、日本人がもっと旅行が出来る様な決まり事を考える方が、余程利益が出ると投稿者:加藤は思いますけどネェ〜〜。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。