日月神示の真髄 探求 (R6.2.21)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。本日のお題は、日月神示の真髄 探求になります。昭和十九年六月十日から、岡本天明が自動書記により書き始めた日月神示ですが、令和六年現在の現代人 (日本人) に、何を伝えようとしているのでしょうか。神は過去に何度も、人類自から神の考える魂に成長して行く事を望み、我々を見守っていたのでしょうが、我々は神の考える様な魂に成長する事はありませんでした。旧約聖書に書かれる、ノアの箱舟ヨロシク、やり直しを考えた大神 (たぶん天之御中主神) に対して、日月の神々 (国之常立神らの集団) が、一寸マッタという感じで、やり直しを思い留まらせ、救える魂の数を増やすための計画書が、日月神示だと投稿者:加藤は考えています、それでも三割の魂が救えれば良い方だと、日月神示には書かれています。そして、救った魂で、うれしうれしで弥栄の世を作る事が目的だと思います。先ず日月神示の内容を理解する事は大切な事ですが、それよりも前に、一番大切な事は日月神示で何度も書かれている、「身魂磨き」となるでしょう。身魂とは、身=肉体の部分で、魂=精神の部分と考えて良いでしょう。身=〇で、魂=•で、身魂が一ッになって⦿になります。そして、身と魂が揃う事で心 (思考) が生まれます。ですので、身魂が磨かれていないと、邪な心が生まれる事になるのです。この身魂磨きは、身だけを磨くとか、魂だけを磨くでは駄目で、両方を磨かなければなりませんが、身魂磨きの方法などは、身魂 探求で説明します。
では、日月神示では何故身魂磨きが大切だといっているのかですが、日本人の身魂が復活 (磨かれる) する事で、イシヤの計画を潰す事が出来ると、日月神示で伝えています。イシヤの計画も神の考えなのですが…悪の御用も大事な事だそうです。確かに、比較の対象が無ければ、善も悪も無くなってしまいます。この善と悪を心で理解するのでは無く、精神で理解しなければ駄目だと投稿者:加藤は思います。何故ならば、人間の心は穢れています。「何々であるべきだ」という常識が、非常識だと理解しなければなりません。ですので、心で答えを出すのでは無く、精神で答えを出さなければならないのです。簡単にいうと、直感で判断するっていう事ですが…この時に身魂が曇っていると、直感の答えも曇ります。此処でも身魂が磨かれている事が大切になって来ます。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。