身魂「魂」探求 (R6.2.14)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、身魂「魂」の探求になります。今回は、現在の日本人が、イシヤの悪の戦略により、本来の日本人が、如何の様に骨抜きにされているのかを探求し、一日も早くイシヤの洗脳を解消し、忘れてしまっている魂の記憶を思い出し、本来の日本精神に立ち帰り、身魂磨きを始めなければ、間に合わなくなりますので、今回の投稿では、日本精神とは何かを確認して置きたいと思います。

 先ずは、皆さまに投稿者:加藤の昔話を聞いてもらいたいと思います。投稿者:加藤は訳あって、十年程の間、米国で生活した事があります。その頃に仲良くしていた友人のお祖父さんと、長い々々話をした事があります。その方は元米国陸軍の軍人で、大東亜戦争 (第二次世界大戦) 時に、日本軍と戦った経験があるそうです。その方との話を全部書くと、とんでもなく長い話になるので、要点を掻い摘んで書かせてもらいます。その方が交戦中に感じた事は、戦争に駆り出された兵士ならば、生きて帰りたいと思うのは当たり前の事だと思うのだが、日本兵にはその感情が稀薄だと感じた事だと言います。日本兵は弾薬が尽きて、絶体絶命の状態に陥っても、腰の刀を抜いて「突撃!」と叫んで攻めて来るのだと、それも一人二人の血の気の多い兵士だけでは無く、全員、全部隊だったそうです。それと対峙する米国兵は血の気が引いた顔で、銃を撃つのですが、目の前でバタバタと日本人兵士が死んで行っても、次から次と刀だけで攻めて来るのだと話してくれました。その時にその方達が感じた事は、この兵士を全滅させても、その後に日本国の老若男女や、幼い子供達も含めて、竹槍を持って攻めて来るのではないかという恐怖を感じたそうです。「降伏、降伏さえしてくれれば、助けられるんだ!」と思いながら戦ったと話してくれました。終戦後にその方は、なぜ日本人があの様な行動に出たのかが知りたいと、大学に入学し直して、日本の歴史を学んだそうです。その時の学びで、戦国時代の戦い方を知る事になったと、火縄銃の鉄砲隊を前にしても、刀だけで突撃して行くのは、日本人で無ければ出来ない事だと知ったそうです。生きて帰りたいと思うのは当然ですが、それ以上に自分の国や、自国の民の命を守る事が優先される民族なのだと知ったと、感慨深い顔つきで話してくれました。

 さて、日本には一霊四魂という言葉があります。一霊とは「直霊」、四魂とは「荒魂」「和魂」「幸魂」「奇魂」から成り立ち、四魂は記紀にも登場し、荒魂=勇、和魂=親、幸魂=愛、奇魂=智となります。この四魂を直霊がコントロールするという構図です。武士道とは、男性にだけ充てた言葉では無いと投稿者:加藤は考えます。女性にも平等に武士道は存在します。一霊 (神人一体) により、四魂をコントロールする事、これが武士道なのです。武士道というと、侍の事を想像してしまいますが、武道だけでは無く、花道・茶道・書道等々、道に通じる、日本古来の道は、全てが武士道に通じると思います。そして、この武士道こそが日本精神なのだと、投稿者:加藤は考えます。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。