三貴神 探求 (R6.2.7)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。本日のお題は三貴紳 探求になります。先ずは三貴紳とは何かから話をしなければならないですよね。記紀に書かれている原文では、是に左の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、天照大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、月読命。次に御鼻を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、建速須佐之男命。と書かれています、現代語に訳して書くと、以下の様になるかと思います。伊邪那岐尊が、左の目を洗って産まれた神は天照大御神。右目を洗って生まれのが月読命。鼻を洗って生まれたのが建速須佐之男命。てな感じだで良いかと思います。伊邪那岐尊の、両目と鼻から産まれた三柱の神を三貴紳といいます。
日本には古来より、日月星 (にちげつしょう) という三要素があり、これは三種の神器や三貴紳などに当てはめると、三種の神器では、八咫鏡=日、八尺瓊勾玉=月、草薙剣=星。三貴紳では、天照大神=日、月読命=月、建速須佐之男命=星となります。推古15年(607年)、厩戸皇子(うまやどのおうじ 後の聖徳太子)が隋の皇帝に送ったとされる有名な国書の一文である、日出処天子至書日没処天子無恙云々 (日出処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや…) の文章を元に、日本国は太陽の国と思い込んでいる人が多いと思います。日本国が神国である事は、確かな事なのですけれども、聖徳太子は、太陽の国とはいっていません。一寸いやらしい言い方でスミマセン。投稿者:加藤が言いたい事は、日出る瞬間の話がしたいのです。都会にお住いの方は、なかなか見れないかも知れませんが投稿者:加藤が住んでいる伊豆半島の東側では、東側の太平洋の水平線に朝日が出る寸前、暗かった海が濃い橙色に変わり始める時刻、西側の山々の方には、未だはっきりと月が見えます。そして頭上の空真上を見れば、星々も未だ満開の花の様子です。太平洋から一寸だけ太陽が顔を出したとしても、その景色は変わる事はありません。ほんの少しの間ですが、毎日々々この瞬間に天空上で、三貴紳が再会するのです。新しい一日が始まる時、地球上のどの国よりも早く、この三貴紳の会合が行われる国、それが神国日本であり、日出る国なのです。さて、話を記紀の三貴紳に戻しましょう。日月神示の五十黙示録 第二巻 碧玉の巻 第十帖に、次の様に書かれていますので、抜粋します。次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神揃ふてお出まし近うなって来たぞ。と、記紀は天照大神の岩戸隠れ以降、ニセモノの天照大神が人皇に日本を統治させるために、天武天皇や藤原不比等らにダマシの書を出させた物ですので、内容が不完全であり矛盾も多く出てきます。月読命に至っては、伊邪那岐尊の右目から産まれたと記述がある以降、三貴紳でありながら記紀に登場しません。建速須佐之男命にいたっては、神名に星の字が無いために、海をおさめる神に祭り上げられ、後には高天原での乱暴を建速須佐之男命の責任にし、ニセモノの天照大神らによって、髭と爪を抜かれて、高天原を追放されてしまいます。日月神示をもう一度見てみましょう、いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神揃ふてお出まし近うなって来たぞ、と書かれていますね。三千世界の立て替え、立て直しが近くなり、岩戸が一気に開き、ニセモノでは無い、本当の三貴神や、その他の大神様が世に出る時が近づいたという意味です。
今回の三貴紳 探究では、大まかな三貴紳の概要を説明しました、次回以降の三貴紳 探究では、一ッ々々の事柄を深く探究して行きたいと思いますので、宜敷くお願い致します。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。