第一巻 上つ巻 第五帖 (R6.1.23)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一巻 上つ巻 第五帖になります。先ずは読んでみて下さい。

第一巻 上つ巻

第五帖 (五)

 富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士 (二二) といふのぞ。見晴らし台とは身を張らすとこぞ、身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。大庭の富士を探して見よ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ。富士を開くとは心に神を満たすことぞ。ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使日ぞ。ひむかは神の使ざから、九の道を早う開ひて呉れよ、早う伝へて呉れよ、ひむかのお役は人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ、この理をよく心得て間違ひ無いやうに伝へて呉れよ。六月十四日ひつくのか三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 11頁 より)

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感想(12件)

 如何でしょうか、チョット説明が必要ですかネェ〜。「富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士 (二二) といふのぞ」の文中で「神の山は全てが二二 (富士) という」と書いてあります。という事は、日本一の山である富士山だけが神の山だとは言ってません。富士山が総本山である事は間違い無いですが、日本全国にある山々は、全て二二 (富士) だと言っていると投稿者:加藤は解釈しています。過去の投稿で何度かふれましたが、日本の国土は国常立大神の御神体ですので、山々も全て (全ての自然物) が神の山だという事になります。「見晴らし台とは身を張らすとこぞ、身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ」前回の上つ巻 第四帖でも出て来た「見晴らし台」ですが、今回の帖で説明する方が解りやすいと思ったので、前回は解釈をしませんでした。これは、神と人が一体化しなさいという意味だと投稿者:加藤は思います。「見晴らし」とは「身を張ること」と書いてあります。その意味は「臣民の身中一杯に神を張る」事ですので、惟神 (かんながら) へ向かう道 (惟神の道に興味のある方は、ネット等で調べて下さい。ここでは詳しく説明をしません) なのです。「ひむかとは神を迎えることぞ」この文章は読んだまんまで、「神を迎える」と書いてありますが、投稿者:加藤は「神に向かう」とも読めると思っています。なぜならば、「ひむかのお役は人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ」との文章で、「神を迎えれば、病が治り、臣民を神の方へ向けさせる」などと、神が言う訳が無いのです。「臣民は、神の方を向き、身魂を磨き、メグリ (カルマ) を清算し、神の御用に向かいなさい」と読み取れるからです。この帖の最後の説明ですが、「大庭の富士を探して見よ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ」この文章は、日本の日月神示研究家の大御所様のほとんどが、岡本天明に向けた文章だと言っています。という事は、基本的に臣民に向けた文章では無いという事になりますので、気にしなくて良いと…思いますが、それだから意味が知りたいと思う臍曲がりな方もいると思います。投稿者:加藤は深掘りする気が無いですが、色々と解釈している方もいますので、興味があれば、ネットで調べて下さい。なんだか今回はまとまりの無い文章で…申し訳ないです。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。