第一巻 上つ巻 第四帖 (R6.1.16)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一巻 上つ巻 第四帖です。少々ですが難解です。先ずは読んで下さい。
第一巻 上つ巻
第四帖 (四)
急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす。神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか、金 (かね) のいらぬ楽の世になるぞ。早く神祀りて呉れよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。神をだしにして、今の上の人がゐるから、神の力が出ないのぞ。お上に大神を祀りて政治 (まつりごと) をせねば治まらん。この神をまつるのは、みはらし台ぞ、富士みはらし台ぞ、早く祀りてみつげを世に広めて呉れよ。早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、早う祀りて神の申す様にして呉れ。神急けるよ。上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、上下揃ふたよき世が神の世ぞ。卍も一十もあてにならぬ、世界中一つになりて⦿の国に寄せて来るぞ。それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか、分からねば神にたづねて政治 (まつりごと) せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。神と人とが交流 (まつり) 合はしてこの世のことが、さしてあるのぞ。人がきかねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ、いつ何んなことあっても知らんぞ、神祭第一、神祭結構。二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ。六月十三の日、ひつくのか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 10頁ー11頁 より)
今回の帖を解釈するには、かなりの説明が必要ですね。やって行きましょう。「臣民なかなかに言ふこときかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす」と、書き出しから手厳しい文章ですネェ〜!過去の投稿でも触れましたが、日月の神様 (国常立大神) は厳しいけれど、とても優しい神様なのですけども、今回の帖は厳しい!上つ巻は全般に厳しいのかも知れませんが…さて、気を取り直して、解釈して行きます。この神様ならぬ言葉ですが、この意味は、我々臣民が聞く耳を持たずに勝手な事ばかりなので、神の言う事を聞く様になる条件を作ると云う意味だと、投稿者:加藤は理解しています。日月の道に入ると、死んでしまいたい様なカルマの大清算が始まると、過去の投稿で説明しました。これは、強制的に身魂磨きの方向へ向かわせ、かつメグリを取除く事になります。「神急けるよ」「人がきかねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ」とも書いてあります。臣民が自ら進んで身魂磨きを始める迄、神は待てないと云っているのです。ですので、自ら進んで身魂磨きをしなければ駄目な環境を、押しつけるよ (言葉が悪いですが) という事だと、投稿者:加藤は読み解きます。
さて今までは、特に触れて来なかった部分なのですが、当ブログのカテゴリー「日月神示」では、必ず引用させて頂いている、太陽出版のひふみ神示ですが、各帖の最後が〇月〇日という様に、月日しか記述がありませんが、各巻の始まりの頁には、次の様な記述があります。例えば第一巻 上つ巻の場合では、「上つ巻 全 四二帖 ひふみ神示 第一巻 自 昭和十九年六月十日 至 昭和十九年七月九日 一帖 ー 四二帖」という感じです。なぜ今更この様な事を説明しているかというと、今回の帖では、時代背景の理解が必要になるからです。今回の帖の最後には、六月十三の日と記されていますので、正確な時代を入れると、昭和十九年六月十三日に書かれた物だという事になると覚えて置いて下さい。それをふまえて、次の文章を解釈して行きましょう。「卍も一十もあてにならぬ、世界中一つになりて⦿の国に寄せて来るぞ」何ですか?ですよね、先ずはザクッと説明しますね。卍=ドイツ、一十=イタリア、⦿=日本と読みます。ですので、「ドイツもイタリアもあてにならない、世界中が一つになって日本に攻めて来る」と読めます。昭和十九年は、大東亜戦争の真っ只中です。そして、日本、ドイツ、イタリアとくれば、日独伊三国同盟の事だと判ります。ここで日本史や世界史の歴史の講義をするつもりはないので、詳しくは書きませんが、三国同盟が崩壊する事は誰でも知っている歴史の事実で、その結果もはっきりと、日月神示のこの帖に書かれている事が大事です。そして、この日月神示の帖は過去の事だと切り捨てる事が出来ません。何故ならば、「同じ事、二度」とも日月神示には出ています。雛形論の話になりますが、今回の帖に書かれている戦争問題は、大正十年の第一次大本弾圧事件の形が出た結果の戦争で、昭和十年の第二次大本弾圧事件の形は、未だ世に出ていません。ですので、過去の事では切り捨てられないのです。
今回の解釈は、少々長くなりました、投稿者:加藤がこの手の話を始めると止まらなくなるので、この辺で筆を置く事にします。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。