第八巻 岩戸の巻 第一帖 (R5.12.26)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第八巻 磐戸の巻 第一帖です。少々解りにくいですが、先ずは読んで下さい。
第八巻 磐戸の巻
第一帖 (二三七)
イワトの巻かき知らすぞよ、イワトひらくには神人共にゑらぎにぎはふのざぞ、カミカカリして唱ひ舞ふのざぞ、ウズメノミコトいるのざぞ。ウズメとは女 (おみな) のみでないぞ、男 (おのこ) もウズメざぞ、女のタマは男、男のタマは女と申してあろがな。ヤミの中で踊るのざぞ、唄ふのざぞ、皆のものウズメとなりて下されよ、暁 (あけ) つげる十里 (とり) となりて下されよ、カミカカリて舞ひ唄ひ下されよ、カミカカリでないと、これからは何も出来ぬと申してあろがな。十二月三十日、⦿の一二⦿。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 197頁 より)
磐戸の巻も残す所、今回の第一帖と、最終帖の第二十一帖を残すだけとなりました。磐戸の巻が、令和五年中には終わらなかった事が、一寸残念です。
さて今回のお題を解釈して行きましょう。「イワトひらくには神人共にゑらぎにぎはふのざぞ」と書かれています。言葉的に難しいですね。ゑらぎ (えらぎ) は、古語なのですが、意味としては「笑い楽しむ事」です。なので、「岩戸を開くには、神も臣民も共に歌い踊り、賑やかに笑い楽しむのだ」という事になります。この帖は、記紀に書かれている、天照大神様を天岩戸から出す時の失敗をやり直す事だと、投稿者:加藤には読めます。日月神示の五十黙示録 (いせもくじろく) 碧玉之巻 第十帖に「ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう」と書かれています。と、いう事は、記紀に書かれている天岩戸開きは失敗に終わっているという事です。「ヤミの中で踊るのざぞ」と書かれています。今の世の中、イシヤの罠に落ちて、真っ暗闇です。記紀ではウズメノミコトだけが踊り歌いましたが、それも駄目で、神も臣民も共に神憑となって、歌い踊り、笑い楽しめという風に書かれています。「暁 (あけ) つげる十里 (とり) となりて下されよ」これは、日月神示で良く出てくる当字が含まれています。「夜明けを告る、鳥になって下さい」という意味に取れます。記紀では、偽の夜明けを告る鳥が出てきますが、本当の夜明けでなければならないのです。本当の夜明けとは、我々日本人が一日も早く、日本の魂を取り戻し、身魂が綺麗に掃除されている状態になるという事です。その上で岩戸を開く事を喜び、歌い、踊り、笑い、楽しむ事なのです。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。