日月神示の系譜 探究 (R5.12.20)

2023年12月25日

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。本日のお題は前回に続き「日月神示の系譜」を探究して行きます。前回は、出口なおが如何にして大本を興したかを探究しました。今回からは、出口なおと上田喜三郎 (後の出口王仁三郎) とが出逢う所の経緯を前半と後半とに分けて、深掘りしたいと思います。大本が興る迄の地獄の様な出口なおの人生や、大本の教祖になる前の、上田喜三郎の破天荒な人生などは、別の投稿に回す事にしますが、投稿者:加藤は、この両名が出逢う前の両者の生き様も大事な探究要素だと考えていますので「日月神示の系譜」で探究投稿する予定です。それでは、ナオと喜三郎の出会い、前半を探究して行きましょう。

 さて、小学校も通った事のないナオは、平仮名も読めなかったといいます。そのナオが釘を持ち、自分の手が柱などに刻むものが、文字なのかどうかも判らなかったそうです。そんなナオは、後年に次の様に語っていたと伝えられています「真っ暗闇でも、筆の先に光が灯り、その光を辿って行くと文字になった」と。そしてナオは、病の人も治療する様になり、「綾部の金神さん」と呼ばれる様になり、明治廿六年七月には、日清戦争を預言、明治廿八年には、日露戦争も予言し、的中させます。ナオの名声はしだいに拡り、丹波地方に教線を拡げようとしていた金光教の耳に届く事になります。金光教は既に教派神道として公認されていて、ナオは合法的に、金光教の綾部支部として活動が開始される事になりますが、「艮の金神は」金光教の主宰神である天地金乃神 (てんちかねのかみ) より一段下に併祀 (へいし) されれた事など、ナオには、非常に不満足な扱いだった様であります。

 その後ナオは、自分に憑かった神が、霊格が高い神だと分っていたので、その事を明かしてくれる人物の出現を待ち望んでいました。そのため明治三十年に、金光教を離れる事とし、独自の教会をつくりましたが、公認宗教では無くなってしまったので、ナオの活動は警察の干渉の的にされる事となります。そんな時、ナオの筆先に次のような筆が出ます「このこと判 (わ) けるみたまは、東から出てくるぞよ」と。この時は既に母であるナオの事を信じていた久 (出口なおの三女) と、久の夫である寅之助は、八木の寅天堰 (とらてんいね) に拵えた茶屋で、いつ現れるか分からない「艮の金神を別けるみたま」を三年も待ち続ける事になります。

 その頃 (明治丗一年) 、上田喜三郎は、女絡みのいざこざで、穴太の浄瑠璃会の席で暴漢らに襲われて、袋叩きされ、急を聞いて友人達が駆け付け、危うい所を救われ、ボロボロの喜三郎は牧場の小屋に運び込まれました。翌日三月一日の早朝に、喜三郎が牧場の小屋の床に平伏し傷の平癒を祈願している所に、一人の洋服姿の男が忽然と現れたと云います。男の正体は「天狗」で、松岡と名乗ったと云います。喜三郎は、この松岡と名乗った男に促され、小屋を出たと思ったら、小屋から二キロ程離れた高熊山の岩窟に座っていたと云います。この時に現れた男は、冨士浅間神社の祭神「木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと) の眷族 (けんぞく) 霊、芙容 (ふよう) 仙人だったと云います。喜三郎は一人、着の身、着のままで高熊山に入り、七日間、断続的にトランス状態に入ったと云います。身は岩窟に座ったまま、霊魂だけが肉体を離れ、神霊界を駆け巡ったと云います。その結果、過去・現在・未来を透視し、神界の秘典を窺知 (きち) すると共に、現界の事などは、数十年数百年の先まで知る事が出来る様になったと云います。喜三郎の高熊山での一週間にわたる修行により、天眼通 (てんがんつう) ・天耳通 (てんじつう) ・自他神通 (じたしんつう) ・天言通 (てんげんつう) ・宿命通 (しゅくめいつう) の大要を神得し、喜三郎は救世の使命を、はっきりと自覚したと云います。ちなみに、高熊山での神秘体験は、後に出口王仁三郎による口述筆記の形で「霊界物語」として発表され、大本では、「大本神諭」と並ぶ経典となります。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。